本年3月末、成田からウィーン経由でポーランド南部、かつてポーランド王国の全盛期の頃の首都であった名高いクラカオに降り立った。飛行機から見るとまだ山に雪が残っていた。今までは車から見ていたので、暗い感じの家並みばかりと思っていたが、空から見ると真っ青な快晴の中に赤い屋根が多く、なかなかの風景だ。クラカオから車で1時間半のビエルスコ・ビアワという町がこれから当分我が住まいとなるところだ。昔は「小さなウィーン」と言われたそうな。人口20万人に満たないのどかな片田舎の町ではある。
以前から契約済みのフラットに早速入居。実はこのフラット、新築なるもまだ出来上がっていない。豪雪で工事が遅れたとはオーナーの言。取敢えず自分のフラットの中はほぼ出来ていたが、外壁もテラスも未完成のままだ。入った日は電気工事中で工事の終わる夜まで電気もなし。目下別棟も建築中で工事は延々と続きそうである。今でこそ外観も少しは格好が付いてきたが、入居時は写真のような状況だった。まあこの利点は建築工法の違いが良く分かると言うことか。分厚いレンガを積み重ね、その上に発砲スチロールを張り、更に薄いモルタルを塗装、あとはカラーの吹き付けで出来上がり。地震のない国は実に簡単で羨ましい限りだ。
ご存知のように前ローマ法皇のヨハネ・パウロ二世が4月2日夜逝去された。法皇はポーランド生まれ。人々に愛され、慕われてきた法皇は、ポーランド人の誇りであり、心の支えであった。翌日はマーケットもレストランも喪に服するため閉店。お陰で引っ越し直後の小生は食事を取りっぱぐれてしまったが。町を行き交う人も黒服が多く、大勢の人達が教会でお祈りを捧げていた。その後何週間もテレビもラジオもこの報道で持ちきりなのを見るにつけ、敬虔なキリスト教徒がいかに多いかがよく分かる。
最近初めて散髪屋に行った。狙いをつけていたフラットの近くの店は閉店してしまったので、他を探すのが大変だったが、何とか見つけた。綺麗なおねえさんが3人でやっており清潔そうなところで安心。どうやって欲しいと色々言いたいのだが、全てお任せ、まな板の鯉。でも腕前はなかなかですぐにこざっぱりした。昔ニューヨークで散髪したときは髪がハリネズミのように硬かったので、よく笑われたものだが、今では年のせいで外人並みに細く柔らかくなり、すんなりやってもらえた。年をとって良いことの一例か。
ポーランド各地に出向くことが多い。困るのはお客さんを集めた会合で最初にアンチョコ付きでポーランド語のスピーチをすると、余程上達したと思われて、後で早口でまくし立てられることだ。交通手段は片道6時間程度なら車、後は列車か飛行機。道路は悪く、高速道路も少ないので、運転はしんどい。それでも昨年EUに加盟して以来西側からの資金援助によりあちこちで道路整備が進んでいる。5月末に出展中の見本市に行くため中西部のポズナン市まで列車に乗ったところ、途中原っぱの中で何のアナウンスもないまま長時間停車。もっともアナウンスがあっても分からないものの一体いつになったら着くのやら。結局遅れること1時間。原因は線路の補修工事だったようだ。これだけゆっくり走っていれば分秒刻みで走っている日本の列車のような大事故は起きないのでむしろ安心というものか。幸い帰りの列車は定刻通り。線路脇に咲いているポピーの花がきれいだった。
還暦を迎えた今では出来るだけストレスを感じないように努めることに決めた。せめてポーランドにいる間だけでも「せっかちな日本人さようなら」と。幸いここポーランドでは時間がまだゆったりと流れているようだ。

クラカオの旧市街 |

入居時のフラット |
|