一橋寮生ゴルフ愛好会第18回コンペ & 懇親会 |
日時 平成24年11月3日(土)
場所 熊谷ゴルフクラブ
出席 羽山、新名、檀上、波能、石井、滝沢、楢原、前嶋 (8名)
快晴の名門「熊谷ゴルフクラブ」にて第18回コンペを開催。昭和38年に小平一橋寮へ入寮した仲間で、毎年春秋2回、ゴルフとグルメ(どちらがメインであるかは不明)を楽しんでいる。今回は常連3名(猪木、篠田、石川)が欠席、また昨年から楢原君(長野市在住)が参加。
コンペの成績は、半年ぶりにクラブを握った前嶋がどういう訳か優勝、ベスグロは羽山君。新名君は震災以来絶不調、石井君がニアピン賞を二つ、滝沢君、波能君は若干不満のスコア。檀上君は本日も親父ギャグが絶好調で準優勝。熊谷GCは、フラットな林間コース(河川敷)なので頑なに乗用カートの導入を拒んでいたが、要望が多くついに今年設置。
夜の部は、熊谷市内フレンチの店「アコモデ」にて会食。この建物の家主は、熊谷出身の作家森村誠一のご兄弟。コンペ成績発表、近況、政治状況など談論風発しデザートが出るころには、ワイン通の石井の薦めもあってか各国のワインをフルボトルで7本!開けていた。
次回は、来春4月9日、桜の季節に予定。
(前嶋記)
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石化産業人を囲むゴルフ会 |
日時 8月28日(火)
場所 湘南カントリークラブ
参加 (C)宮本 (D)津田、小田、北村 (E)服部 (G)徳永、永井
(H)平井 (I)羽山 (L)大森 (K)西田 計 11名
石油化学産業人ゴルフ会に羽山さんからのお誘いで参加した。総勢11名、内本来のメンバー6名は、ゴルフ界など多分野に革新的原材料を提供し続けてきただけにゴルフへの意欲と技量は抜群。では残る5名の参加資格は?「いいではないですか。皆さん、所属してきた企業で長年、油を売ってきたのですから・・(笑)」ということで、資格審査を終了。
プレーの方は酷暑に悩まされながらも、湘南独特の海風に癒されながら、水平賞、大波・小波賞のみを争うビッグマッチに熱戦を展開、何とも楽しく和気藹藹な一日となりました。
二次会は7名で二駅隣の大船駅前の居酒屋へ。浅草の雑踏を彷彿とさせる下町の雰囲気と湘南の美味に話題はさらに沸騰。
きっとこの会はますます盛会になるでしょう。
(北村 記)
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旧一橋寮住人ゴルフ会 |
11年目を迎えたこの会、今年は10月29日熊谷で開催。例年は春、秋と年2回行っているが、今年は東日本大震災があり春は中止し、ほぼ1年振りの顔合わせ。
熊谷在住の前嶋修身君の献身的・絶妙なアレンジで先ず桜・紅葉を楽しめる名門熊谷ゴルフクラブでゴルフを楽しんだ後、毎回厳選された地元の食事処で料理、酒、おしゃべりを満喫し、最後の仕上げは駅の近くの「花束」で新幹線の時間ギリギリまでカラオケを熱唱し、急いで駅に駆けて行くというのが定例スケジュール。
今回は8名の参加。ゴルフは秋晴れの中、やれ「飛距離が落ちた」「カートに乗り慣れているので全コース歩きは疲れる」等とぼやきながらも駄洒落が続出しキャデイさんを大笑いさせる楽しいゴルフ。(「秋」のゴルフ、サマー(夏)にならずフユ(冬)かい(不愉快)だ。仕事は現役、ゴルフはOB。・・・・・)
ゴルフ後の食事処に選ばれたのは、名物女将のいる小料理店「菊川」。その昔は芸者置屋で、名横綱「栃錦」の春日野親方が相撲協会理事長時代にも来たことがあるという老舗の座敷で美味しい料理と地元の酒を楽しみながら談論風発。大震災、放射能・原発問題、健康旅行、関野吉晴氏のグレートジャーニー、家庭における奥さんと自分の権力構造(事態は奥さん優位からさらに独裁へと進行中)、学生時代・寮生活の思い出等々いつものように話題は尽きず。
翌日の予定の関係で少々早目に引き揚げた某参加者が似たバッグを間違えて持ち帰り、気がついた時は新幹線の中というハプニングも発生。
今回参加者の8名は石井勝博、猪木哲雄、篠田紘明、滝沢義弘、檀上正泰、波能英勇機、羽山章一、前嶋修身、これに今回欠席の石川純祐、新名仁の2名を加えた10名が現有メンバー。
新しく参加ご希望の方は上記メンバーか、本会の世話役を務めていただいている前嶋修身君(前嶋修身税理士事務所 048-526-0811 fzm52663@biglobe.ne.jp)へコンタクトを。なお、次回の開催予定日は2012年3月31日(土)。
(篠田 記)
<出席者> 石井勝博、猪木哲雄、篠田紘明、滝沢義弘、檀上正泰、波能英勇機、羽山章一、前嶋修身
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旧一橋寮住人ゴルフ会 |
年2回の恒例行事として10年になる「旧一橋寮住人ゴルフ会」が12月11日熊谷で開催された。熊谷在住の前嶋修身君の献身的・絶妙の良きアレンジを得て、先ず名門“熊谷ゴルフクラブ”でゴルフを楽しんだ後、毎回趣向を変えたレストランや料理屋での食事+談論風発、最後は駅の近くの“花束”なるカラオケでノドを競い22:24分熊谷発最終の上り新幹線に飛び乗って夫々の家路につくという三段仕掛けの伝統行事になっている。
今回は現有メンバー11名のうち所用や腰を痛めた仲間もいて参加者は6名。好天に恵まれたゴルフは難しいグリーンに悩まされながらも、大半が“年金坂”を超えるドライバーショットを飛ばすなど年齢を感じさせない元気さで乗り切った。賞金授与+反省会+食事+おしゃべり会は「アプランテイ」という料理とワインの素晴らしいフレンチレストラン。こじんまりしているが熊谷にもこんないいフレンチの店があるのか(前嶋君、失礼!)と感嘆させられた味、雰囲気共に申し分のない店。ワインを飲みながら最近の政治情勢に対する怒り、世界遺産80ヶ所訪問などの幅広い旅行談、健康談義などに花が咲いた。“花束”では新幹線の時間ギリギリまで裕次郎シリーズ、ゆかりの(過去の赴任地)ご当地ソングなど順繰りに間髪入れず歌いまくってあわただしく駅まで走った。(駅に着いて見たら、時間間違いで20分ほど待つことになりました。朦朧のせいか耄碌のせいか。お粗末!)
(篠田 記)
<出席者> 石井勝博、猪木哲雄、新名仁、篠田紘明、波能英勇機、前嶋修身
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昭和42年会 剣道部ゴルフ会 |
日 時 6月2日
場 所 日本カントリークラブ
参加者 荻原(A)松下(D)吉宮(D)澤田(E)川村(K)田島(I)
埼玉県坂戸の日本カントリークラブにかつての剣道部員15名のうち、ゴルフ愛好の6名が集合した。アメリカに定住している荻原君(A)がこのたび一時帰国するとの連絡を受け、早速同君を囲むゴルフ会の話がまとまった。
天候不順で寒い日が続いていたが、当日は晴れ渡り風もなく、弁解の利かない絶好のゴルフ日和となった。全員新緑を満喫しつつそれなりの実力を発揮し、結果は、オネストで90を宣言した荻原選手が宣言どおり90でかつべスグロであった。かつての青年剣士の迫力をちらりと見せるものもいたが、むしろ60歳代の老練さを感じさせるゴルフが目立った。
プレー後は、クラブハウスで麒麟麦酒(澤田選手の元職)と地酒「越生梅林」を飲みながら歓談、荻原君のアメリカでの活躍ぶりの紹介があった。同君はキッコーマンに入社以来、ほとんどアメリカに在住、アメリカの地で日本の「醤油」を売り込み、日本の醤油を世界の醤油にした立役者の一人である。
話はさらに日本剣道の歴史的分析や今後の国際舞台でのあり方、政治情勢の評価等幅広く時間の経つのも忘れ最終のクラブバスで帰途に着いた。電車の中で鳩山、小沢辞任の速報が入り、今日は歴史に残る一日であったと感慨も深く、再会を約して散会した。
(川村記)
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第20回一橋寮ゴルフ会 |
日にち 4月10日(土)
場所 熊谷ゴルフクラブ
参加 A篠田、B石川、前嶋、C新名、F波能、G石井、H猪木、I檀上、L滝沢
本会は昭和38年入学の同期で小平の一橋寮で寝食を共にした仲間が年2回春と秋にゴルフを楽しむ集まりで、熊谷の住人前嶋君がBクラスながらA級(永久)幹事役としてゴルフ場の手配から19番の懇親会食、20番のカラオケに至るまで種々アレンジしてくれている。
今回は記念すべき第20回大会で、名門熊谷ゴルフクラブでの開催となった。波能君が初参加してくれたが、常連メンバーのI羽山君が風邪をこじらせ急遽欠席となったため、3組9名のプレーとなった。
直前の4月7日に仲間のひとりG木下謙一君が急逝され、20回大会は奇しくもは木下君を忍ぶ追悼ゴルフ会ともなり、ゴルフ終了後の懇親会食の場で、故木下君への献杯をし、冥福を祈った。
ゴルフの結果は、新ペリアのハンディキャップの有利さが効いて檀上がネット74で優勝。猪木君が持てる力を存分に発揮し、実に堅実なプレーで85(45、40)のベストグロス。熊谷の名物でもある桜堤の桜も、ゴルフ場の随所にある桜も満開のピークで、スコアの結果を見ると、余りにも見事に咲き誇る満開の桜に気を取られて、ゴルフに集中できなかった者も何人かいたようである。
プレー後の19番ホール懇親会はホテルガーデンパレスで、美しい日本庭園を眺めながらの和風会席をおいしいお酒とワインで堪能した。その後恒例の20番ホールカラオケへと繰り出し、木下君が好んだ石原裕次郎の歌を交えて大いに盛り上がった。
前期高齢者達の集まりとは思えないほど元気に、楽しく、和やかな一日を過ごして、夜遅い新幹線で熊谷を後にした。
(檀上記)
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一橋寮42年ゴルフ会・夕食会 |
日時 : 平成22年2月4日(木) 18時より
場所 : 目黒駅前
参加者 : (A)篠田夫妻 (B)石川、 前嶋夫妻 (C)新名夫妻
(H)猪木夫妻 (I)檀上夫妻、羽山夫妻
かつて一橋寮で、夕食をめぐって「ファイティング」というジャンケンの死闘を繰り返した経験をもつ寮生OBの面々が、当時の一橋寮とは全く雰囲気の異なる和食の店に、2月4日(木)の夕刻、家族を伴って集合した。
今回、上尾の遠方から参加したものの、都合で奥様が参加できなかった石川君から、早めの確定申告で思わぬ大金の入金があり、これを原資にして、近いうちに夫婦で海外旅行に出かけるという、皆が羨む話から懇親会が始まった。和食に舌鼓をうち、日本酒や焼酎でのどを潤しながら、寮時代の旧い話や、これまでのそれぞれのめずらしい経験談や、お互いの健康増進法などを、声を大にして語りあい、又昨今の政治・経済・スポーツ情勢に話題の花を咲かせ、会は大いに盛り上がった。
次回の春のゴルフ大会は20回目の節目になるので、出来るだけ多くの人に参加してもらえるようにお誘いの声をかけることとした。又日時は、桜の季節を過ぎているかもしれないが、4月10日(土)に熊谷ゴルフで実施することと決め、いつものとおり前嶋君に
19番、20番ホールも含めてアレンジをお願いすることとした。最期に全員で記念撮影をして又の会う日を約束して会を終了した。
(文責:新名)
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第19回一橋寮ゴルフ会 |
日時 10月24日(土)
場所 熊谷GC
参加 A篠田、B前嶋、C新名、G木下、H猪木、I羽山、L滝沢
(欠席5名)
このゴルフ会は昭和38年春に小平の一橋寮に入寮した同期の集まりで、毎年春秋に開催し、熊谷市在住の前嶋君がゴルフ場の予約から19番、20番までフルセットしてくれている。
今回は珍しく都合の付かない人が多く、2組7名のプレイとなった。
木々が色付き始め、近くを走る秩父線の蒸気機関車の汽笛やヒヨドリの甲高い鳴き声が時折聞こえる穏やかな秋の一日であった。
実力者の羽山君がネット72で優勝。滝沢君がドライバーと寄せが終始安定し、43,43
の86でベスグロ。80台2名、90台2名、100台3名で、平均スコアは97。
五十肩の痛みに悩む前嶋君が5番407Yミドルで見事に2オンのパー。力まずスイングすることがいかに大切かのお手本を示した。新名君は寄せ、パットが絶好調で“ダイヤモンド、金、銀、銅、鉄”を完成した。
会食はしゃれた創作料理店「LIGARE」。時節柄、新政権特に峰崎財務副大臣への期待で盛り上がり、さらに安全保障問題と連立政権の今後や地方の道路事情等の話題から健康管理の基本は歩くことなどなど和気藹藹の2時間となった。
20番はカラオケ大会。珍しく唱歌を歌おうとなり、小学唱歌「故郷」(兎追しかの山・・・・)を全員で合唱(?)、最後は恒例の「地上の星」でお開きとした。
来春は記念の20回。一橋寮同期の皆さんのご参加をお待ちしています。
(猪木 記)
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第17回一橋寮会ゴルフ |
日時:平成20年11月1日(土)
場所:熊谷ゴルフクラブ
出席:A篠田、B石川、前嶋、C新名、G石井、H猪木、林、I檀上、L滝沢
いつものように前嶋君の幹事役で第17回ゴルフ会を熊谷GCで開催した。今回はG木下、I羽山両君が体調を崩して欠席となったが、石井、林両君が初の参加で、3人ずつ3組でのプレーとなった。
グリーンはもちろんフェアウエーもメンテナンスがよく、そのきれいなフェアウエーを傷つけないようにとの配慮もあって、ラフやバンカーで打つことの方が多かったような気はするが、やや風があったものの天候に恵まれ、抜けるような青空のもと、楽しいひと時を過ごすことができた。
成績は接戦で、滝沢がネット74で優勝、2位檀上、3位猪木の順となった。前回は還暦を過ぎてからむしろ若返ったのでは、と思わせるようなショットを繰り広げたつわものもいたように記憶しているが、今回はみな歳相応のゴルフだった。バーディを取ったり、パー3のホールで見事ピンそばにワンオンしたりと、技術的なうまさを見せつける者もいたが、残念なことに後半15番あたりから腰が回らず、ダフったり、トップしたり、今一つ方向性の定まらないショットでスコアを崩す面々が多く、スコアが体力の衰えを証明するかのようであった。
プレー終了後、19番はうなぎ割烹「廣川」でおいしいうなぎ料理とお酒を堪能、続いて20番お馴染みのカラオケバー「花束」に行き、欠席の羽山君に代って彼の持ち歌「地上の星」「天城越え」から恒例の歌合戦を展開した。そしていつも通り最終の新幹線で熊谷から帰京した。
次回は、桜の時期に熊谷GCを予定している。一橋寮在寮経験があり会の趣旨にご賛同いただける方は、いつでも参加を歓迎いたします。幹事役の前嶋さんまでご一報下さい。
(檀上記)
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マーキュリー・グリー・クラブイタリア演奏旅行に参加 |
今夏7月30日(水)から8月9日(土)の11日間、一橋大学OB男声合唱団、マーキュリー・グリー・クラブ(MGC)のイタリア演奏旅行(総勢48名、内同伴15名)に参加した。MGCは、一橋大学男声合唱団コール・メルクールOBを母体に9年前に設立された。藤本団長(S34年卒)以下団員は総勢約55名で、42年同期は阿部(I)、松田次郎(D)、中尾丈夫(E)、藤原尚(F)、下村肇(E)の5名が在籍している。
今回は、フランス・ドイツに続く3回目の海外演奏旅行である。旅先は、ミラノ周辺の北イタリアで、演奏地は、アルプス国境近くのスキーのメッカ、海抜1000mを超えるアッダ・メロ地域の山村の教会2箇所(ヴェッサ・ドーリオとテムー)とパドヴァ近郊(モンテオルトーネ)、ミラノ近郊(ベスナーテ)各1箇所の計4箇所だった。
1回目(8/1)、2回目(8/2)はアッダ・メロ地域の山村の教会では、聴衆が1回目(8/1)250名、2回目(8/2)200名と予想外に多く、万雷の拍手やスタンディング・オベーションで反響が大きかったのに吃驚した。地方では教会を中心とする地域の結束力が強いことを知らされた。
演目は、宗教曲、イタリア歌曲、日本民謡より各5曲の3点セット。特にイタリア歌曲の人気が高かった。アンコール曲は、「アイーダ」・「椿姫」で有名なオペラの作曲家ヴェルディのオペラ「ナブッコ」のコーラス曲「行け我が思いよ、金色の翼に乗って」だったが、彼の活躍した時代のイタリア統一運動を連想させ、イタリア人には国歌並の人気があるため、最も聴衆の反響が大きかった。
3回目(8/6)、4回目(8/7)は、開催地のアルピニスト男声合唱団(8/6ラヴァレド、8/7ペンナ・ネッロ)の協演で、いずれも、宗教曲からポピュラーまでをアカペラでこなす40年の伝統のあるレベルの高い合唱団であった。4回の公演の終了は、全て夜の10時すぎ、地元の美味しい料理とワインで歓待され宿舎に着くのは夜半過ぎとなったが、主催者との心温まる交流が思い出に残った。公演の大成功に加え、北イタリアの観光も心に残り、特に次の2箇所は印象的だった。
・パドヴァの聖アントニオ教会の祭壇のドナッテロの彫刻や説教上手で有名な聖アントニオの舌・顎・棺などの遺品(霊感を感じる)。
・ヴェローナの古代ローマの円形闘技場「アレーナ」(世界屈指のオペラの野外劇場)。 さて、来年3月には、「マーキュリー・グリー・クラブ設立10周年記念定期演奏会」を初台のオペラシティの大ホールで開催予定です。我々の合唱は、指揮者の永井氏(S35年卒)を始め、合唱界の大御所田中信昭先生のご指導で水準が高いとご好評を得ております。皆様是非聴きにおいでください。 また、新規団員を募集中です。合唱経験がなくても歌に関心のある方を歓迎です。興味のある方は、是非下村までご連絡下さい。
連絡先:メール:simo-san@mail.hinocatv.ne.jp
以上
なお、添付の写真は、池田信彦氏(S43年卒)撮影のものです。
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S42年卒業山田欽一ゼミ会 |
日時 平成20年5月24日(土)
場所 海鮮問屋地魚屋三田店
参加 田沼・槇田・渡辺・下村
昨年11月の山田先生の墓参以来2回目。
槇田邸で彼の得意な中国料理披露の予定だったが、急遽槇田の勤務地の海鮮料理屋に変更となった。
今回の話題の中心は40代から外資系会社に勤務した田沼君である。田沼は、2年前から始めた皇居周辺の20KMマラソン(プロのコーチ付)に嵌っており、9月にはハワイのマウイ島でフルマラソンに挑戦する。また、彼は前回に増して昨今の政治・経済の貧困ぶりに悲憤慷慨頻りを露わにした。この勢いでは、選挙に打って出るのだろうかとも思った程である。
小生を除く3人の共通の趣味は、愛犬である。子育てを終わって夫婦だけの生活が中心となる中で、愛犬の存在は以前にも増して重要となって来ているという。特に驚いたのは、3人共に愛犬の寿命と自身の余命を重ねて考えていることだ。夫々可愛い愛犬を残しては行けない思いを切々と語った。それ程飼犬への愛情が深い。この心境は、愛犬のいない人には理解できないと思った。
最後の話題は、グルメである。一頻り話すうちに、共に、和洋を問わずかなりの食通でこだわりがあることが判明した。基本的には、下関のふぐを始めとする海鮮料理の話題が中心だったが、次回は趣向を変えて、槇田君絶賛の銀座の焼肉店で10月下旬に再会することとした。今後のグルメの会が楽しみである。
Eクラス、下村(記) |
第16回一橋寮会ゴルフ |
日時:平成20年4月12日(土)
場所:熊谷ゴルフクラブ
出席:A篠田、B石川、前嶋、C新名、H猪木、I檀上、羽山、L滝沢、(8名)
この会は前嶋君の幹事役で8年ほど前から、S38年〜39年頃に一橋寮に在寮した有志4名で始めた会であるが、最近では参加者も増え、2〜3組のゴルフコンペ(2回/年)として定着した。今回は第16回ゴルフ会を熊谷GCで開催した。今年は桜の開花が早く、生憎ソメイヨシノは葉桜であったが、八重桜が満開で快晴の天気にも恵まれた。
成績は大熱戦の中、羽山がベスグロ優勝(G86、N74)2位石川、3位滝沢の順となった。ベストショットは猪木の最終ホール(アウト9番370ヤード)でティーショットを240ヤード飛ばし、第2打をピン横1.5mにつけ見事バーディを奪ったホールである。還暦を過ぎてから一層若返ったとパートナーは羨望の眼差しであった。また、第1組ではイン13番で2名がバーディ、後の2名がボギーであがった。D君がオールBだとのたまうが、パートナーは何の意味か分からずポカンとし、やっと数秒後、頭文字で表現すれば全て「B」となることが分かった次第である。同伴のS君曰く、「D君と一緒に回ると疲れる。ゴルフ以外に駄洒落などを直ぐ理解しないといけないから」。同じく同伴のH君も「全く同感」。
この会はプレー終了後、20番ホールまで行くのが毎回の慣例となっている。今回は前嶋家で奥様とお弟子さんの茶席で二服いただいた後、19番はフレンチレストラン「サンタムール」でフランス料理に舌鼓を打ち、20番は駅前のお馴染みの店「花束」で自慢の喉を競い合った。最終の新幹線で熊谷から帰京したが、正に至福の一日であった。
次回の第17回は11月15日(土)に決まった。
なお、冒頭に記したような趣旨でこの会は開催していますので、一橋寮在寮経験があり会の趣旨にご賛同いただける方は、いつでも参加を歓迎いたします。幹事役の前嶋さんまでご一報下さい。
羽山(記) |
S42年卒山田欽一ゼミの墓参・宴会 |
日時 平成19年11月20日(火)
場所 多磨霊園墓所、如水会館橋畔亭「国立」
参加者 槙田、田沼、渡辺、下村
山田欽一先生は、1974年11月25日急逝された。今回の墓参は10数年前に一度ゼミテン一同の墓参を行って以来である。
10月13日の42年会卒業40周年記念会場で槙田君に再会時にこの墓参は決まった。
42年卒のゼミテンは全員で4人。当時流行の数理経済学の勉強の目的に山田欽一先生の下に参集した。教科書は、アレンの数理経済学の英文原書。経済学の基礎知識の勉強不足もあって、数学を多用するゼミナールの報告には悩まされたものだ。
山田先生も、数学がご専門で経済学との関連には余り言及されなかった。
何とか卒業させていただいた我々であるが、卒業以来先生と親しくお会いする機会もないまま急逝されたので、墓前に拝礼しつつ40年前の先生のお姿が彷彿とする錯覚に陥ったのも当然である。クリスチャンのご夫妻のキリスト教式の墓石の前にお線香と献花というスタイルでお参りし、ご冥福を祈った。
如水会館での先生を偲ぶ会は、40年前の優しい先生にお世話になったことや各自の来し方の回想が話題の中心となった。
三菱重工の元常務に栄進した槙田。新日鉄の部長役だった渡辺。ジャパンラインから外資系コンサルタントに転進した田邉。三井信託で年金業務に携わった下村。と各自多彩な人生だった。仕事に厳しい外資系会社勤めの長い田沼は、終始「昨今の日本の政治の貧困と経営者の器の小ささ」を嘆いていた。大会社の経営陣の一角を占めていた槙田は、静かに田沼の話を聴きながら、『現代版「ノアの箱舟」が出現する時代が来るな』と意味深長な一言をぽつり。解説はなかった。
実務的な話はともかく、墓参の前後と宴会席で最も多かったのは健康の話題。
学生時代から三菱重工時代を通してサッカーの選手で頑健そのものの槙田だが、最近は2年おきに足に痛みが起きる。渡辺は、体脂肪率が2割弱で健康管理良好な筈だが、過度のゴルフの練習から股関節を痛めている。下村は硬式テニスのやりすぎで腰痛・膝痛持ち。田沼だけは、目下健康優良児。健康管理目的にランニングを継続しており筋肉質の精悍な体つきで皆の羨望の的だった。
瞬く間に3時間が経過後、積もる話の残りを来年5月の再会時に残して散会した。
次回は槙田邸で開催し、彼が嵌っている中国料理の腕前を披露することとなった。
Eクラス:下村(記)
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荻野和仁さんを偲ぶ会 |
日時:平成18年8月25日(金)16時半〜19時
場所:妙法寺〜芹生(成城学園駅前)
参加者:荻野仁、山本千里、川目須美、乗附文子、C永井孝彦、F中村恒雄、G河井征治、國武胤清、H佐藤征男、中島亨、I北爪正路、K川村忠太郎、L高原正靖、早川良一、杢本光弘、以上15名
第2代学年会執行部事務局長を務められた荻野和仁君が平成12年1月18日にご逝去されてから早七年が経った。去る7月4日(火)旅行愛好会二次会の席上、ご逝去時の学年会代表・川村君から出された「偲ぶ会を」との提言を河井が受けて、第2代執行部で籍を同じくした佐藤君共々3名で呼びかけたところ、15名の方々が参集された。荻野家からはご三男の仁さん、如水会事務局から当時の事務局長・山本さん、現在も如水会に在籍している川目さん、乗附さんのお三方にご参加いただいた。
まず全員で荻野君が眠る妙法寺のお墓にお参りしたあと、成城学園駅前の「芹生」に移り「偲ぶ会」を開催した。最初に、仁さんがご持参いただいた荻野君の遺影に向かって全員で黙祷を捧げたが、彼のネクタイはラグビー部が周年記念につくった赤と黒のストライプ調のもので、高原、杢本両君も同じネクタイを着用して出席しておられ、山本さんを含め同部の結束の固さに敬服した。なお、川村君、北爪君、河井の3名は、荻野君が喜連君(E、当時三越)らと一緒に作った黄と黒のストライプ調の卒業30周年記念大会用のネクタイを当日着用した。
次いで、川村君が挨拶、佐藤君が献杯、山本さんが偲ぶ言葉をそれぞれ述べられたが、伊藤忠商事時代、卓越した語学力、交渉力を駆使し、東欧を中心に縦横に活躍した彼の姿を彷彿させるとともに、如水会事務局にあって学年会とのパイプ役としてよく機能され、学年会発展に大きく貢献された彼の功績を一同改めて再認識した。
全員での写真撮影、自由懇談のあとH組代表・中島亨君が偲ぶ言葉を述べられたのに続いて、ラグビー部仲間の高原君が「彼が最初入った陸上競技部には、専門の中距離でどうしても勝てないライバルがいるため負けず嫌いの彼は当部に移ってきた。ところがウイングとして確かに足は速いが、直進しかしないためよく相手のタックルに止められていて、緩急をつけて相手のタックルをかわすことはまず無かった」との彼の性格を象徴する秘話を披露してくれた。
最後に仁さんがご挨拶されたが、その中で「父は現在の私の職業である小学校の教師になるのが夢だった」と我々にとっては初耳のお話を披露されるとともに、謝意を述べられた。
それにしても、彼の偲ぶ会はご葬儀、四十九日の法要、一周忌、三回忌、そして今回と5回目であり、しかも7年目にしてこれだけの人を集める彼のご遺徳、類稀な個性はやはり凄い。改めて若くして逝った彼の御霊に合掌!!
記:河井征治(G)
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42年会 フィリピン旅行記 |
2005年12月マニラの山崎隆一郎大使を訪ねる旅が実現した。参加者は9名。今村俊一夫妻、江口洋夫妻、大塚和彦夫妻、徳永興亜、永井孝彦夫妻。大塚夫妻以外は、三年前にベトナムのハノイに山崎大使夫妻を訪ねた仲間である。
12月7日(水)成田集合。ハプニング発生。幹事の山崎信之輔君の姿がない。奥様の実家で急病人がでたために参加できなくなったという。山崎幹事は航空券を江口君に託してくれていた。無事フィリピン航空に乗り込む。マニラではマカティのシャングリラホテルにチェックイン。テロ警戒が厳重。まず大きな警察犬に荷物をチェックされる。夜はマイクロバスで大使公邸へ。ところが幹事がいないので公邸の住所がわからない。大使館に電話するも答えてくれない。地図にもでていない。日本の山崎君に電話して大体の位置を教えてもらい出発。近い場所なのに渋滞につかまり大遅刻。公邸では椰子の並ぶ庭で歓迎を受ける。公邸に入るとフィリピンの現状や問題点について資料を頂き、大使から詳しく説明をいただいた。あとは大使夫妻に大使のお嬢さんも加わり、ごちそうに舌鼓。さわやかな南国の夜を楽しんだ。
12月8日(木)観光とゴルフの二組に分かれる。観光組はもと住友商事駐在員の大塚君が案内。コレヒドール島への船の予約で一苦労。市内観光に切り替える。まずマニラホテルへ。“I shall return”を果たしたマッカーサーが投宿したことで有名。つぎは世界遺産のカトリック教会のあるスペイン要塞へ。ゴルフ組は徳永君の甥の廣瀬さんの案内でカンルーバンGCへ。ここは若王子さんの誘拐事件で有名になった所。一人に一人のキャディ嬢がついて出発。しかし4ホール目でスコールに遭遇。流れる雨水で遭難しそうになり、泣く泣く中止。夜はスペイン料理。公用で来島していた峰崎君が飛び入り参加。山崎大使も公務のパーティを終えてから駆けつけてくれた。
12月9日(金)大使の紹介状持参で、マラカニアン宮殿を見学。警備が厳しい。スペイン風の白亜の瀟洒な宮殿をくまなく案内される。庭にはプルメリアが植えられ白い花が気品をそえていた。有名なイメルダ夫人の居室も見学。若い頃のイメルダ夫人の写真がかかっている。なんとやせてスマートであったことか。名高い靴箱ものぞかせてもらう。午後は国内線でセブ島に。空港では徳永君のお兄さんが出迎えてくれた。セブ島の電機工場の経営者として25年滞在しておられるという。単身赴任の社宅にお邪魔し、セブの新鮮なマンゴやパイナップルを味わう。夜はフィリピン料理。大きなカニにむしゃぶりつく。宿泊はセブマリオット。クリスマス休暇の帰省客でにぎわっていた。
12月10日(金)早朝からゴルフ。セブCCは熱帯の花盛り、ブーゲンビレア、睡蓮、ハイビスカスが咲き乱れ、マンゴがたわわに実をつけている。キャディは男で一人に一人。みなプロ並みの腕だという。クラブはキャディが決めてくれた。午後はクルージングを楽しむ。白い新しいクルーザーに乗り組む。船員3人を含め12人。マゼランの遭難の浜を横に見ながら、隣の島に向かう。船底で水着に着替える。おじいさんとおばあさんの着替えは恥じらいもない。磯に近い海でシュノーケリングに挑戦。熱帯魚はいるもののやや深いので老眼朦朧の嫌いなきにしもあらず。残念なことに小さなクラゲがいて軽く肌を刺す。しかし我々以外だれもいない海。爽快きわまりなかった。帰路は白い航跡を見ながらの缶ビール。その夜は疲れをいやすべく焼き肉で精をつける。そして最後はカジノへ。クリスマスのイルミネーションが美しい。家族連れが実に多い。島の人は殆どがクリスチャンで12月を心待ちにしているという。4泊5日の旅、皆元気にフィリピン最後の夜、乾杯のブランディの香りは味わい深かった。 |
Cクラス 永井孝彦(記) |
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大使公邸庭にて |
マニラ・スペイン料理店にて |
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セブでの比国料理後 |
セブ・カントリーにて |
旧マラカニアン宮殿前にて |
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東京湾大華火祭 |
8月14日(土)夜「東京湾大華火祭」が東京・晴海埠頭にて開催されました。
Aクラス江口くん(東京ガス豊洲開発社長)のご好意により晴海埠頭の対岸にある豊洲埠頭より美しい夜景をバックに綺麗な花火を鑑賞いたしました。
参加者はS42年会関係では10組25名でした。
Lクラス早川くんの撮影した写真をご覧ください。(記:高原)
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報告「42年会田所執行部在京幹事懇親ゴルフ会」 |
42年会田所執行部在京幹事4人が、会計幹事増山くんの計らいで、12月18日、湘南カントリークラブで懇親ゴルフを楽しんだ。
田所執行部最初の仕事となった12月5日の42年会忘年会に、幹事長の檀上が出席できなかったため、その盛り上がり振りを楽しく聞かせてもらういい機会でもあった。
当日の天気は、これぞ小春日和と呼びたくなるようなすこぶるつきの快晴で、風もなく、動き回るとセーターがいらないくらいの絶好のコンディション。フェアウエーもグリーンも状態は最高。各人が手にしている最新型のウェポンも立派。一緒にまわるパートナーは気心の知れた仲良しの面々。
これ以上望むべくもない好条件の中で、なぜか4人が4人とも悪戦苦闘。
代表幹事 田所くん: |
ドライバーショットが、遠くに飛ぼうとする力より、高く飛ぼうとする力が強く働いているようで、上昇志向の強さを感じさせる場面が多かった。距離的には、ドライバーショットよりもフェアウェーウッドのショットのほうが確実に飛んでいた。 |
事務局長 高原くん: |
TVコマーシャルの「三井住友ビザカード」のテンポがうまく取ず、早打ちになってしまうとぼやくことしきり。湘南カントリーは三菱系なのだからカード名を変えればうまくいくはずとの増山くんのアドバイスが利いたのか、上がり3ホールで見事なショットを見せつけてくれた。 |
会計幹事 増山くん: |
飛距離、方向性とも安定、加えて地主の強みもあってアウトは上々の出来。しかしパートナーのレベルに合わせた自動調整の結果か、インでは「らしからぬゴルフ」となり本人も半ば自嘲気味の態であった。 |
檀上: |
帰国後6ヶ月で早くも元の木阿弥となったか、バンコクの地で鍛えたはずの腕前を発揮することなく「こんなはずでは」と首をかしげながらぶつくさ繰り返しているうちに18ホールを終了した。 |
各人がそれぞれに多くのことを感じ、学んでプレーを終えた次第である。
そこから、これも増山くんのお手配で、大船は駅前の観音食堂に場所を変えて、おいしいさかなと酒をいただきながらの反省会と相成った。
次回は「れば」「たら」抜きで堂々とスコアを開示できるようになりたいものと、上達を誓い合った。
2004年の42年会活動を盛り上げていこうと確認し合って終わった楽しい1日であった。
(文責:檀上) |
昭和42年会15年度旅行-北海道 |
月日:平成15年9月13日(土)〜15日(月)
場所:志笏湖・丸駒温泉〜札幌市内〜上川郡・旭川市内〜富良野
参加者:A江口洋 B前嶋修身 C笹生洵也・早苗 永井孝彦・泰子 宮本皓市・由利子 D斉藤誠一郎 月崎博章 峰崎直樹・生子 森昇 E下村肇 G上田和雄 河井征治 田所保 徳永興亜 H佐藤征男 鈴木象三 I羽山章一・知恵子 J斎藤明 K川村忠太郎 佐野直紀 浜石満・優子 増山晴英 L滝沢義弘 峰崎事務所・佐藤均・石本亮三・玉木裕子、以上32名 |
会員相互の懇親を深めるとともに、7月17日「峰水クラブ」が設立されたことを背景に有志により峰崎直樹議員を支援しようとの趣旨で北海旅行を実施。参加者は32名と、前回(平成10年9月)の19名を7割上回る盛況となった。
初日の9月13日(土)は、生憎台風の襲来に見舞われゴルフ会は中止したが、代りに全員で支笏湖と丸駒温泉を存分に楽しんだ。
初日夜は今回最大行事の如水会札幌支部との交流会を開催。支部からは遠藤支部長(29)、小野幹事(40)を始め18名のご参加を頂き、歓迎のご挨拶を頂いたが、当会からは新任の田所学年会代表、江口峰水クラブ代表、峰崎議員の3名がそれぞれご挨拶したあと、5組の夫婦を中心に自己紹介などにより会場を大いに沸かせた。最後に、支部の中村さん(52)がお持ち頂いた「紫紺の闇」のテープをもとに全員で斉唱したあと、二次会へ繰出したが、支部からも若い方中心に9名が参加された。
2日目以降は台風一過すばらしい晴天に恵まれ、ゴルフ組と観光組に分れて北海道の自然と温泉、味覚を存分に楽しんだあと、峰崎氏提案により来年秋、釧路カントリークラブ鶴居コース〜知床半島周遊を約して散会した。
最後に、今回大変お世話になりました札幌支部各位へ厚くお礼申し上げます。(河井記)
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