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(名簿索引より 卒業記念文集 寄稿文)

如水会会報 平成27年(2015)6月 第1013号 p024
           百歳を迎えられる長寿会員               
  小寺 喜一郎 翁 (16学後)

 (如水会事務局長記)






 3月30日、サクラが満開の暖かい日に、世田谷区松原にある介護付ホームにお邪魔した。
小奇麗で、明るい施設である。翁は活動的で有名な十二月クラブ所属である。
先ずは色々ご活躍されたご同期の話から始まった。

翁は北海道倶知安でお生まれになり、小学校を卒業するとすぐ農作業の手伝いを始めたが、
向学心が強く、三年間働きながら独学で中学に編入され、一番で卒業、小樽高商経由、商大へと進学された。
ご尊父は滋賀県高月市のご出身であったが、次男のため、北海道苫米地開拓村に移住することになつた。
それでも勉強がしたく苦労して学費を得たという。
翁は大学では中山ゼミで学んだ。
軍国少年であったが、小二の時、事故で左目を痛めたため、補充兵扱いとなり、直ぐには戟地に赴かず、
東芝に入社された。
28歳の時に召集、樺太の守備隊に配属され、
20年に終戦、シベリアの沿海州で抑留生活を送り、鉄道建設、森林伐採などの強制労働のあと、
23年に帰国、東芝に復職されご結婚、二人のお子さんがおられる。
今では考えられないご苦労の多い、波乱万丈の人生である。

ご次男は如水会員で外務省にお勤めである。
孫六名、ひ孫二名に恵まれておられる。
奥様も93歳でご健在、時々新宿までお二人でお出かけになるそうだ。
昔、喜寿のお祝いでお贈りした如水会の杖を今でも大切に愛用されている。
東芝には、子会社を含め66歳までお勤めになり、
その後、73歳まで玉川大学文学部で講師を務められた。

とにかくお元気で何よりです。(事務局長記)