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| Zクラス モリカン |
71.千の風になって、、
千の風になって、、、言わずと知れた、最近のレコードベストセラーである。昨年の紅白歌合戦に出たそうである。不明にも存じ上げなかった。
「なるほど、、、」と感心するほど納得したので、今日はこのテーマにした。
某日。仲間と痛飲した。大方は年齢要因から「通院(ツーイン)」している。(オジンギャグ!)
大部分が孫がいる。ワケあって居ないのが、約2名。自分はその一人である。立場が弱い。
別に自分が悪徳なる生活をおくっている訳ではないが、デカいつらは出来ないことがある。例えば、勤務先が倒産した場合など、息子が引きこもりになっている場合など、、、
自分本人は悪くない。悪くないがデカい面(ツラ)は出来ない。この世には、そんな場合もあるのだ。
例えば、行き遅れの娘を約1名抱えている。その話題になった。
なんとしても吾が娘には、まともな人生を歩ませたいと願っている。心底、願っている。命がけで願っている。ホントだ。
ところが、
何がまともか、よくよく考えれば分らないではないか。第一、本人がどう思っているかワカランよ。結婚して子供を産んで、、、それがナンボのもんか。ほっとく方がいいんだよ。
そういう意見もあるぜ、よ、というのが、無責任なヤロウどもの寝言だった。
理屈は分かる。その理屈の方が森羅万象、古今東西ひっくるめて哲学的に考えると正しい(のだろう)。反論しても、ナニか合理的な自然科学のような理論にならない。田舎のオヤジ的親バカ論になってしまうのだ。
しかし、その「親バカ論」がなんだというのか。―そうです。いけませんか?―と、開き直りたくなるのだ。
圧倒的確率からいって親の方が先に死ぬ。当然だ。だから、理屈に合わなかろうが、どうだろうが子供のことは、どうしても気にかかるのだ。
幸せに暮らしているか。泣いてはいないか。言いたいことがあるのに、暗い目をしてガマンしていることはないか。
親ならば、こうしてやればよかった。ああしてやればよかった。そんな事を想いながら死にたくはないのだ。
諸兄は、以下の詩を読んでも「親バカ」とホントに思うのだろうか。
・・(死んでも)おれの墓の前で泣くことはないぞ。おれはそこ(墓)にはいない。
・・朝は、鳥の声になって起こしてやる。夜になれば、天の星がおれだと思え。
・・春は、雨となって降り注ぎ、夏は、光のようにふりそそぐ。
・・いつでも、おれはオマエと一緒にいる。死んでなんかいない。
・・そうだ。おれは風になったのだ。これからは千の風になってオマエと一緒にいる。
――「千の風、、、」に納得した気持ちが少しでも分かってもらえただろうか。――
72.類人猿の滅亡
子供の頃は、本に囲まれて過ごすことが多かった。
かっこいい記述だが、自分の印象ではその原因にはかなり暗いものがある。ひとつは身体が弱かったからである。
更に、もうひとつは(いいにくいことだが)周りに話が合う人間がいなかったのだ。ずばり言うと、低度の悪いガキに囲まれていたのである。
要は本の世界に逃避して暮らすことが多かった、と言うのがホントである。
小学生低学年の頃、図書委員をさせられて図書室で本の整理をした。今思えば、これもきっかけの大なるものであった。
そこでの本の世界で、ずいぶんと「発見」をした。小学生が「ジュラ期」「先カンブリア紀」「三葉虫」などや、アンドロメダ大星雲を興奮しながら自分で発見したのである。驚くなかれ、原始地球での有機合成から生命の神秘も読んだ。無論、シートンの動物記中の狼王ロボや、赤襟兄いなど、どれほど面白かったことか。
そこでの印象的経験から自然科学の法則に異常な興味がある。しかも、自分で発見する興奮に目がないのだ。
誤解は避けたい。自分は自然科学者ではないから、本格的・学問的な事例は全くない。ただ、そういう思考方向に興味が尽きない、ということだけである。
例えば、こういう問題点がある。
人類の進化。つまり、ヒト種の地球上での進化である。何百万年か前にゴリラなどのサル種の同じ祖先と分れて進化してきた。それはいい。
しかし今現在、サル種は世界中に数多い。なのに、ヒト種は一種類だけである。
ネアンデルタール人も、クロマニヨン人もヒト種だったが絶滅した、と言われている。ではなぜ、某サル種での絶滅はないのか。
いや、あるという学者はいるだろう。あるのだろう。言いたいのは、なぜにヒト種だけが、こうも明らかに早くから一種類だけになったのか、と言うことである。
結論。
ヒト(人)種だけが、似たやつをぶっ殺して来たのである。アフリカで進化・発生したホモ・サピエンスが世界中に広まる過程で、先行して進化・発生したヒト種ではない類人猿?がいたはずである。しかも、相当いたはずである。
それをぶっ殺して広まったのだ。一切すみ分けのような妥協をしなかったのである。どこまでも追い詰め、北京原人を皆殺しにし、ジャワ原人を抹殺したのだ。だから、極寒のベーリング海峡を超え、新大陸まで渡っていったに違いない。
例えば、アジアにはネアンデルタールや、クロマニヨンというホモ・サピエンスに似た動物が生息していたはずである。学者によれば、現代人はこれ(ネアンデルタール)との混血の事実はない、と言う。遺伝子から分かるのだ。
それはいい。混血しないのはゴリラとチンパンジーも同じである。ただ、皆殺しはしていない。絶滅させるのはヒト種だけである。
なぜ、そんなことまでするのか。
理由は分らない。分らないが、直感的に「間違いあるまい」という確信がある。
いやあ、、今日は実に、想像の共和国だった。あの時代にはもう戻れないんだねえ、、
73.変わりゆく街
故あって、旧東郷平八郎宅の近所に勤務先がある。東京都千代田区三番町である。
解説も要るまいが、一応しておく。
東郷平八郎(弘化4年〜昭和9年)は、日露戦争当時の連合艦隊司令長官である。薩摩藩に生まれ、明治4年〜西南戦争当時は英国に留学していた。日露戦争でバルチック艦隊を全滅せしめた、いはば本邦の英雄である。元帥まで昇進し、従一位大勲位功一級侯爵で没す。
その邸宅跡が千代田区にある。今は公園になっており、近所の子供がおにごっこで遊んでいる。
さて、その三番町だが、「番町」は番町皿屋敷のバンチョウである。六番町まであり元は旗本の武家屋敷跡なのだ。
千代田城(今は、皇居)の西北(この方角を天門という)、内堀と外堀の間に、旗本八万旗の屋敷が密集していたわけである。従って、内堀側には服部半蔵の半蔵門があり、外堀側は市ヶ谷御門で敵に備えている。
因みに、市ヶ谷門の外側は現在の新宿区市ヶ谷八幡町で、防衛省陸上自衛隊の駐屯地がある。無論、戦前は大本営があったところである。
ついでに蘊蓄を一つ。
この場所は、明治以降陸軍士官学校があった場所だが、その前はどうだったか。なんと、徳川尾張藩の江戸上屋敷跡である。
もっと言う。JR市ヶ谷駅の堀の向こう側、即ち外堀の外にある市ヶ谷亀岡八幡宮は太田道灌の建立である。武蔵の国の住人にて、開墾武士の末裔、太田道灌が大本営跡を経て、本邦の防衛省を見守っている訳である。ロマンを感じないかね、諸君。
明治維新(1868年)から140年が経過した。月日は百代の過客にして、行き交う時もまた旅人なり。この期間にこの街はこれだけ変わったのだ。人間がたった140年で街をこれだけ変えたのだ、とも言える。
アタリマエだが、何に感動するつもりか(と、諸兄は想ったかナ?)
140年間くらい、ずっと変わらない土地や人民はいくらでもある。あるはずだ。
もし、諸兄が百姓の生まれだったとする(自分が、そうだが、、、) 生まれた屋敷の裏手の田圃は、140年前はいかがなりしか?
明治の初めに祖父の親父が分家する時に、田分けをしてもらったとは聞いている。
しかし、水田の成り立ちは変わっていない。享保年間に貫通した利根川からの用水路が明治に新しく掘られたくらいだ。(葛西用水といって、日本三大用水である)
小市民的で気恥しいが、世界の民族情勢はほとんどNHKの番組でしか仕入れない。
・・ここに、300年間変わらぬ暮らしがある。・・とか。・・かの革命の世紀に、移住を強制されて一村全部が移った。今はここが故郷である。、、、とかいう番組である。
極端には、これが1千年間になったりする。変わらぬ土地、変わらぬ暮らし、変わらぬ人生の形(カタチ)がある。
本邦では、少し古いが「北の零年」―吉永小百合―これがたった140年前である。
今、これの比較を考えている。変わりゆく街と、変わらない村がある。変わりゆく人生と変わリ得ない人生がある。自分はどっち派なのだろうか?
人は自分の年齢の何倍まで実感できるか? そろそろ、そんな事も考える年齢(トシ)になった。
74.ホモ・サピエンスへの突然変異
生物の進化について造詣が深い。
自分のことである、と言ったら驚くだろうか。「何かまた、ひどい冗談を思いついたようだ」と想像したかな。
先月のエッセイに「類人猿の絶滅」について自説を述べた。少し距離はあるが人類の進化論である。生物は、進化の過程で近隣の「種」を意識的に絶滅に追いやる傾向がある。無論、自分の進化発展に邪魔だからである。そういう説である。
しかし、大筋を述べると実はダーウインはそんなことは言っていない。(のである。)
―まず、生物には突然変異が機械的・無目的に起こる。(実は、突然変異は後世の発見である)
―ところで、環境の収容力は常に生物の繁殖力よりも小さい。そのため、生まれた子のすべてが生存・繁殖することはなく、性質の違いに応じて次世代に子を残す期待値に差が生じる。つまり(環境に)有利な形質を持ったものがより多くの子を残す。
―それによって有利な変異を持つ子が生まれ、それが保存されその蓄積によって進化が起こる。
お分かりかな。
この説で、当時一番問題だったのは「突然変異が機械的・無目的に起こる」の部分であった。(実は、ダーウインは「同じ種でも、形態はいろいろである」と言ったのだが)
(素人むけに、途中飛ばす)
しかし、現代ではこの部分は議論の余地がない。―宇宙線の影響で遺伝子が変異する。―
ところで、自論のテーマは上記「説」のどこか?
「環境の収容力は、常に生物の繁殖力よりも小さい」―ホントか。―ここである。
噛み砕いて言うと、生物には(突然変異で)いろんな亜種が生まれる。
この亜種に中には、親より生存(生命)力の強い種から、親より弱い種までランダムに生まれる傾向がある。(繁殖力が強い)
ところで、生きていく環境はどんな亜種でも生きていける(子孫を残せる)ほど甘くはない(つまり、収容力が小さい)。こうして、強いヤツが生き残る(進化)。
いかにも、スッキリしている。
しかし、諸兄。だまされるなかれ。
地球誕生以来、個体の数に制限や激減があっても生物の「種」は増え続けている。(いろんな種類の生物がいること)つまり、収容力はある意味で、小さくないのだ。
想像してみたまえ。三葉虫は絶滅したようだが、カブトガニがいる。アンモナイトも絶滅したが形を変えた種はいる(頭足類といって、タコがそうらしい) 恐竜だって、鳥になったのだという説は今やほぼ確実である。
地球上には、アメーバのような原生生物から人間のような高等哺乳類まで何百万という「種」が生存している。実は、全ては分っていないのだ。(未発見)
それと、地球誕生から数えると数百億種が生まれ、その99.9%は絶滅している、という説が有力なのである。(ホントです)
だから、絶滅した「ヒトに似た種」はある時代、ホモ・サピエンスの近隣に数多く生存していたのである。元の類人猿に「突然変異が起きたのだ」―しかも一回ではあるまい。
常識的に想像してみたまえ。一回の突然変異で「猿のような猿人から、ホモ・サピエンスに変異する」はずがない。
絶滅していったネアンデルタール人は、残念だったろうねえ、、そう想わんかね、諸君。
75.義務教育廃止論
義務教育はすぐにでも廃止すべきである。この論には、相当の自信がある。
どうしてもできなければ、できる範囲でいい。たとえば、「読み、書き、計算」だけは義務=資格とする。無論日本語である。計算は加減乗除、九九まで。年齢制限はない。
上の義務が果たせれば、行きたくなければいかなくてもいい。更に、技術達成基準だからいかなる学校でもいい。極端には、全て塾でもいいし、独学でもいい。
蛇足だが、国公立の教育機関は全廃しすべて民間機関とする。
趣旨はこうである。
今は昔。「衣、食、住」と言う。単なる生命の維持たる必須項目の順位では、「食」だろう。喰わなきゃ死んでしまう。「住」は洞穴でもいい。「衣」は獲った獣の皮を捲くか。
で、文明は発達する。識字率が高くなければ、商売は出来ない。計算も同じだ。
ところで、先ほどの「食」だが、本邦では一般論として人民のパン(コメ)は不足しているだろうか。そうではあるまい。飽食の時代と言う。メタボリックなんとか、、は喰い過ぎの果てのはずだ。
「衣」も保温効果を狙った時代は、もう江戸時代の「綿入れ」にその面影があるだけである。ファッションでは「衣」とは言えまい。つまり、人民の生存のための必須文化は行きついているのである。残っているのはファッションだけなのだ。
断っておこう。高等数学や哲学、物理学あるいは人類を救わんとする社会科学類。これら、人類が営々と築き上げてきた神へ近づかんとする所業を捨てよ、とは言っていない。否、それこそは、文明に閉塞感のある現代にとって最大の人類的課題であろう。
そのことと、ガチョウに穀物をむりやり詰め込むがごとき本邦の義務教育制度とは似ても似つかぬものである。
思い出しても見たまえ。こんなことを憶えても死ぬまで絶対利用することはあるまい、という知識のナント多いことか。
それは、「合理的思考方法の鍛練」なのである、と屁理屈をつけた恩師がいた。集合論がどうしても理解できなかった時の数学の先生である。
今なら、自信を持って言える。
そうではあるまい。鍛練すべきは「非」合理的思考方法の方ではないか。なんとなれば、この世に生きていく上で絶対的に必要なのは、非合理的現実に対する耐性や理解、そして愛情ではないのか。つまり、平たく言えば「我慢」である。
戦後は、我慢はするなという。理想を追えという。意味も分らずに、とにかく憶えろである。明らかに文化的な筋道からみて無理がある。
学問はそれに興味を持ったもの、快く理解できるべく才能に生まれたものが志せばいいのである。人民には、学問をする権利があると共に、学問からは身を遠く置く権利もあるのだ、とアタマを切り替える必要がある。
嫌なものまで、ナンデやらせにゃならんのだ。無理を強いるから、昨今の若者がキレルのだ。人間は、牛や馬ではない。
たとえば、こういう基準があったとする。ある時代の人口で、自分は幸福な人生だったと感じる人口割合%は比較的高い方か低い方か? 諸兄、現代は間違いなくこれまでの時代より高い、と自信を持って言えるか。
社会制度の是非は、そういう観点から判断すべきであると思うがどうだろう?
76.信じていない
実感としては、信じられないことがある。
理屈・理論では“こうです”と言われる。なるほどそうですか、と言うけど、ホントは納得していない。自分は比較的そういうことが多いタチである。
例えば、「地球は丸いボールのようになってる。だから、西の方へドンドンと行く。すると、東から帰ってくることになるのだ」。そう言われる。
――そうですか。それは又、なんともはや!スゴイことですな。――確かである。でも、信じてない。自分が経験・実感していないからである。
更に、「時間は相対的です。ですから、ある物体の速度が極めて速くなると、時間はゆっくり進むことになります」
――・・・・・・そうですか。・・(実感がない)
「例えば、時速300キロで走ってる新幹線の天井からの照明、すなわち光は一瞬に床に届きますが、この光の床に行きつく時間を新幹線の中で測る場合と、新幹線の外、即ち駅で測る場合では、距離が違うから時間が違うように思うでしょう。ところが同じなのです。光の速度は一定ですから、時間の方が伸び縮みする訳ですな」
――・・・・・・はあ、、そうですか。・・(信じてない)
「原子と、その周りを廻ってる電子の間は極めて離れています。ですから、いかなる元素、分子が地球上で詰まった状態でも、微細な粒子(例えば:ニュートリノ)は裏側から地球を通り抜けるのです」
――・・・・・・(あなた、ほんとに想像できるの?)
「この世には、間違いなく創造主という絶対者がおられるのである。その絶対的事実と宇宙の始りや生命の起源を、科学的に探究する試みとは矛盾しないのだ」
――・・・・・・(・・・確かにそうですが、、、、)
「人間は、死ねば只の物体になり土に帰る。残るのは、生き残った者に記憶や思い出が残るだけである。
だから、あなたが自分の損得や世俗的成果を求める意味はあまりない。むしろ、自己を犠牲にしてでも、生き残る者の為、何か為すべきなのだ。分かりましたか!」
――・・・・・・(ふん! ってやんでえ、、)
人間の実感というのは恐ろしいほどの力(チカラ)を発揮する。
このテーマの場合の実感とは、その“実感”がないという事実がいかな力(チカラ)を発揮している例である。
この観点はしばしば日常的にも起こりうる。例えば、幸福感という実感は本来は高度で普遍的であるべきだが、実際は悪環境から解放された臨時的些細な瞬間ほど大きい。
「神の啓示」という実感がある。あるらしい。あったのだから、どうにも反論の余地がないのである。今は昔、本邦がキリシタン禁令中、宣教者に問うた。(らしい)
「しかし、おかしいではないか。何ゆえに、おぬしのいうGodは、この200年間も吾が国の民には「啓示」を与えなんだ、うん?」
・・まあ、忘れてたんでしょうね。でも、今からはありますよ。私が来たんだから。・・
――この場合、不敬罪にはならないでしょうね。――
77.B級グルメ
自慢するほどではないが、ケッコウ味にうるさい方である。戦中の生まれだが、百姓家だったおかげで食い物に困った事がない。
戦後は喰い物にも困って、、、などとは、よく聞く話だが、自分にはそういう経験がなく、終戦後のド田舎で白米はもとより、鰻の蒲焼き、大福餅、羊羹、などを喰いたいだけ喰って育った。
更に、野菜、果物に恵まれていたと言える。何せ、産地である。茄子や胡瓜だけでなく、キャベツや大根、ネギなど。一日、二日経ったものを喰ったことがないから、スーパーのキャベツや大根など、今でもあれがホントの野菜だとは思っていない。
誤解は避けよう。カネ持ちだった訳ではない。むしろ、現金収入に乏しい自給自足の育ちなのである。上の説明で分かるように、純日本的食い物だけが並んでいる。文明度の高いものは経験がないのだ。
例えば、ラーメン(支那ソバといったが)など。世の中にこんなに旨いものがあるのかと、感激したのは高校生になってからだったろうか。
経緯はいい。実例を示そう。
住まいの近所に、めぼしい食い物関係の店が3種ある。和菓子屋がその一、豆腐屋がその二、魚屋がその三、である。
和菓子屋では団子を買う。みたらし団子しか買わない。
団子の要諦はその硬さ加減とタレの仕上がりにある。ヤキトリや蒲焼と同じで、まず「焼き」という加工時間の中で、「ある一瞬」だけが旨さの素(モト)を作ると思っている。
タレは、粘度を保つようなナニモノかを加えるようでは話にならない。従って、この店のものは一本105円もする。まあ、、旨い。
団子の味は間違いなく値段に比例するのだ。B級グルメの自信が分かっただろうか。
さて次が、豆腐である。
実は、豆腐は家人がうるさい。安月給だった頃だが、亭主(自分だが)がいつも帰りが遅いもんだから夕飯が要るのか、どうか分らない。用意している日に限って飲んだくれて帰る。豆腐なら経済的にも損傷は軽微である。それで豆腐に“はまった”のだろう。
近所にあるのは代々の豆腐屋である。
つれあいに死なれた、孫もいる老婆が店を守っている。無論、当日に仕込んだモノしか売らない。日によってでき具合が違う。
そも、豆腐はその日の天候を考え、カンと経験で作るらしい。生きモノなのだ。
出来たては、調味など不要で「そのまま」が旨い。大豆の香りと井戸水の味がする。
この時ばかりは、われら夫婦仲がいい。―うん!―おいしいわね。―安上がりだねえ、、―
最後が魚屋である。これも家人にはこだわりがある。貝類である。
かつて所帯をもった頃、瀬戸内海は臨海部の工場勤務だった。非番の休みに貝掘りに行ったことがある。当時、赤貝がふんだんに獲れたのである。家人の好物である。
これを肴に工場仲間で飲めや喰えやの大盤振る舞いをやった。台所で忙しかった家人には約1個しか残らなかった。・・!これだけですか!・・今でも、この事は当家の禁句なのだ。
自分のこだわりは青魚である。
魚の見立てにも自信がある。カマや頭(アタマ)にも目がない。たまにマグロのカマを買ってきて、家人の顰蹙をかっている。魚焼きレンジに入らないのだ。
タコ、イカ、サザエにもうるさい方である。イカは自分で刺身にするし、塩辛も作る。
・・赤貝なんか、もう何年も食べてないわよね。・・
――どうやら、35年前のうらみを忘れていないらしい。――(やれやれ!)――
78.(木崎)西山崎稲荷神社
神社・仏閣と言う。
自分は、昔から神社の方に興味が尽きない。明治神宮とか宇佐八幡とかいうのではなく、表題のような誰もきいたことのないヤツである。
埼玉県は、見沼田圃というのを聞いた事があるだろうか。埼玉県さいたま市の名物エリアである。百万都市の一画に廣大な(向こうが見えない)田圃があるのだ。(ホントです)
まあ、ド田舎であることを言っている。
自分の住まいが、その「さいたま市」浦和区上木崎にある。その上木崎地区の下手に木崎地区があり、この地区内に山崎という範囲がある。昔でいえば山崎耕地だろう。
西山崎だから、そのまた一部である。そこに「西山崎稲荷神社」が鎮座している。
無論、社(ヤシロ)がある。
が、説明でお分かりにように人間などは入れないくらい極(ゴク)小ぶりである。
一坪もあるまい。しかし、覗くと「鏡」がありオキツネ様が両側から見張ってる。
さて、本題である。
小さいが霊験あらたかで、、、などを言うつもりではない。神社だから鳥居があり庭がある。この庭=境内の事である。
そも、神社の起源は磐座(いわくら)や、鎮守の森に囲まれた神の住むある禁足地のような境内であった、と言われる。社=建物を常設するのは時代が下がってからなのだ。
そこで、西山崎稲荷神社である。
小さく、忘れられた田舎の名もない神社だから、神社の数百年前の様子が分かる。その代表的な様子が、神木と境内である。神木は、照葉樹である事が多い。シイ、カシ、カヤ、クスノキ。一方、ケヤキもあり、イチョウを従えている。
そして、その杜(モリ)に囲まれている一画に、庭=境内がある。
重要なのは、次である。
その境内は、苔むしてはいてもおよそ草木は生えていない。踏み固められて、ばかでかい土俵のようである。石などは混じっておらず、裸足で神楽があっても素足に傷がつくことはあるまいと思われる。
何ゆえにこういう状態になっているか。――テーマはこれである。
通常、日本列島の場合、ある地面の一画が草木が生えなくなるほど、カチンカチンに「土」が固められるのはどういう場合だろうか。
まず、現代では学校の運動場がある。土俵やテニスコートなども草木は生えていないが、いずれも何かの目的をもった人工の構築物である。ことごとく平面状である。
ところが、神社の境内はそうではない。人工的でなく、踏み固められている。
以下は想像である。
これは、この一画に「かつて、夥しい人々が(何度も)集まった古跡」である。
初めは、部落の長や占師が集落の人々を集めたか。神域であろうから祈りの場ではあったろうか。♪♪村の鎮守の、神様の、きょうは目出度いお祭り日。♪♪である。
日頃は子供の遊び場だ。夜になれば、若者や娘っこが忍んでくる。凶作の年、代官所への強訴はこの場で策されたに違いない。
一言で言えば、
この神域のざっとを観察するだけで、この地方の歴史を感じるのである。ケヤキの大木の根に腰を下ろし、渡ってくる風を受けるだけで稲作の匂い、モミ殻のむせりが分かるのだ。つくづくと、自分が百姓の血筋であるを想う場所である。
79.日本民族論―番外編
昔の話からしよう。
かつて、恩師が転院(テンイン)したというので、挙って見舞いに行ったことがある。
もう1年も前から、口もきけない状態に陥っていた。無論、栄養補給も自力では困難で、外部からの強制補給である。点滴も効かない。
薬物療法(と云うのか、どうか)、何らかの手術。これらはもうやらない。何をやるのか。リハビリだと云う。
ずばり、云う。
そういう作業は単なる延命である。断然、病気治療とは似て非なるものである。医学的専門家でなくとも判る。でも、周りはそう云わない。快復しつつあると云う。
目に見えて悪化している場合でもない限り快復しつつあると云う。言葉に出すときは、ほとんどの人間がそう云う。つまり、ウソを云うのだ。
常識論では「ウソはイカン」という。正直であれ、と言う。本邦にはそういう暗黙の道徳観がある。その暗黙の道徳観は正しいか。それがテーマである。
- 真実あるいは事実を述べると関係者を傷つける場合、真実は述べない方がいい。つまり、ウソを言ったほうがいい。上の例がそうである。
・・この病人は、もう治療しても治らないようですな。見る度に症状が悪化しているのが素人でも分かります。・・(思っていても、誰もそう言わない。)
このウソは、相手を意識的に励ます場合、特にその相手が未熟か、特殊な事情の場合はたびたび使われる。・・大丈夫だ、絶対合格する。俺が保証する。・・ウソである。
- 関係者(相手)に対し自分がへりくだる場合、事実をまげて逆サイドに近いくらい反対の言葉を吐いていい。つまりウソの方がいい。
・・「まこと、つまらないモノですが、、、」 つまらないモノとは思っていない。
- ある、極めて大事なモノ(=自己や家族の生命など)を守らねばならない場合、一時的に真実を曲げても許される。この場合は、大事なモノの基準が重要で「国家の存亡に係る」事柄などは判断が難しい。
例えば、今でも公定歩合の上げ下げについては、日銀総裁はウソをついても許される。
旧ソ連人は、自分たちは世界一幸福な民族だと言ってはばからなかった。恐怖がウソを言わせたのだ。
そこで、この項目3のウソにつき。
某大国。人民の心理習慣によれば関係者(相手)にウソをついて事を収めた場合、安堵の悦びを越えて、自分という人間の成長に対し誇りを持つという話を聞いたことがある。
ところで、本邦の人民心理ではどうか? 良心の呵責と言うことがある。本来あるべきことが出来なかった。そう思って、後ろめたい感じを持たないか!
言わんとする意味は分っただろうか。つまり、本邦人は一般に古い民族=ユダヤ人、ラテン語人、アラビア人、インド人、中国人とは、かなり心理構造を異にするのだ。
即ち、日本列島発生の吾が民族は極極新しい民族なのである。紀元2600年などと言わず、吾が民族は、この若さこそ誇りとすべきと思うがどうだろう?
80.司馬史観について
近年珍しい見解に巡り合った。
司馬遼太郎をダメ小説家呼ばわりしている。けっこう、これは珍しい。
何故だめか。要するに英雄史観の域を出ていない、からである。(と、いう説である)
では、英雄史観はどうしてダメなのか。
――昔、昔。あるところにエライ人がいました。若い頃はこうでした。あれこれ苦労しました。でも、頑張って出世しました。その人のおかげで今の私たちが平和に暮らせるのです。これが日本の歴史です。―― 英雄史観だとこうなる。
これでは、小学生むけのカミ芝居ではないか。そんなヤツが文化勲章(司馬遼は最終的には文化勲章をもらってる)とはあきれてモノが言えない。そういう趣旨である。その趣旨は正しいか。
先に結論を言おう。
司馬遼をダメ呼ばわりするのは、学者の「やっかみ」と左翼の形式主義によるものである。
まず、学者である。司馬氏には、司馬史観とまで言われるような偏重な歴史観がある。
意訳する。
―(司馬氏の好みは)合理主義への信頼である。即ち、狂信的なもの、非論理的なもの、非合理なもの、神秘主義、いたずらに形而上学的なもの、前近代的な発想、神がかり主義、左右双方の極端な思想、理論にあわせて現実を解釈して切り取ろうとする発想、これらはすべて氏の否定するところである。
こうしたものの対極にある近代合理主義の体現者こそが、司馬の愛する人物像である。その人物像を実在の歴史になかで見つけて、その人物の生きざまを小説家としての語り口で、印象的に著わしているのである。―(誤解されたくないが、氏の作品(成果物)はあくまで小説であって、論文ではない。)−
分るように、氏の成果物は小説であるから、自分の美意識・道徳観・人生観がどうしても出るのだ。更に言えば、小説・物語はどうしても名前のある人物を扱わざるを得ない。
・・当時の支配層はこれこれで、土地を歴代開墾してきたこれこれは、次第に生産物を占有化する過程でこれこれ、、、、生産しない階級の力関係がこれこれで、、・・などと言っていたら、小説になるだろうか?
蘊蓄を語ろうか。
確かに、たとえば「織田信長」を扱う場合、濃尾平野の農業生産力、わけても河川湾口部(下流のこと)の灌漑技術の発展に伴う高度成長に注目する必要はあろう。また、木曽三川と言われる河運の発達も、この時代見逃せない。
織田軍団はいわゆる兵農分離といって、兵士(この場合、足軽)を百姓の一時働きではなく常備軍として育成していた。言うなれば、それだけ富裕だった訳である。
では何故、太平記の時代は足利尊氏、新田義貞が強かったか? かの時代は、関東武士が開墾地主で余力・兵力があり余っていたのである。この時代の米の生産量を示せば、、、、、
――なんども言うように、これでは学説にはなっても小説にはなるまい。――
次、左翼の形式主義である。
唯物史観という。マルクスが『資本論』などにおいて歴史観を確立した。
――歴史を動かす原動力になっているのは思想や観念ではなく、それらの基盤となる経済的な関係であるとした。そして、生産力と生産関係の矛盾が深まると社会変革が起こると考えた。――
歴史は(分析すれば)人間の生産関係の変遷であるとみる訳だから、それが誰という名前の人物か否かは問題にならない。
織田信長が出なければ織田裕二か誰かが出たはずである。(と、いう説である)
しかし、そうかねえ、、と思う。
事実として、マルクスでなければ「資本論」は世に出なかった、と言えるのではないか。
レーニンが出なければロシア革命はなかったし、文化大革命は毛沢東の使唆だったというのは歴史的事実になりつつある。
むしろ、学者や左翼思想家の方から人物を大胆に取り上げ、時代との絡み合いを学問的に分析する努力が必要だろう。やっかみで人の悪口を言うようでは団地のおばさんと変わりない。
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