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「代表者(幹事長)」任期の限定
当クラブには、設立当初から、しっかりとした『会則』及び『内規(3編)』並びに『取扱(1編)』が設けられており、これに基づく「組織的活動」が行われているが、「仲良し会」にありがちな、『面倒見の良い「万年幹事」に全てお任せ』という方式ではなく、代表者(幹事長)の任期を限り、「予科のクラス」「高商組」から「交替」で選出するようにしたことが、良い結果を生んだと思われる。
現在の幹事長は『13代目』であり、この40年間に「再選者無し」はご立派な実績であろう。また、歴代の幹事長経験者は「名誉幹事」として処遇、『幹事会』への『出席権を認めていることも、結果的には「有効」に作用している。
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各担当クラス企画の『月例会』の開催
「同期会」と言えば、一般には「年1回」か、活発な年次でも「年2〜3回」が普通であううが、当クラブでは、『卒業20周年』という「働き盛り」の年代だったにも拘らず『毎月12日に集まりましょう』との呼ぴ掛けと、例会の企画を、各クラスの担当にしたことが功を奏し、当初の例会は内部の「講師」で始まったが、回を重ねる毎に、各分野における『著名スピーカー』が陸続し、毎回の参会者が常に40〜60名という盛況が続いた。
当時の『スピーカー』の名を拾ってみると、「大平正芳氏(当時外相)」「平沢和重氏」「増田学長」「中山素平氏」「永末英一氏」「ドクトル・チエコ氏」「川又克二氏」「金森久雄氏」「春日野親方」「伊東光晴氏」「森泰吉郎氏」「佐橋滋氏」「永井道雄氏」「佐藤紀久夫氏」「竹下景子氏」「その他経済・情報・医学・芸術の専門家多数」等々と、よくもこれだけの「著名人」を「小さな同期会」にお呼びすることができたと、溜め息が出る思いである。
かつ、その間には、「新年家族懇親会」「旅行」「観劇」「史跡巡り」「一橋祭参加」「海外旅行」等々の行事を、毎回多数の参加者で「毎月挙行」したのであるから、家族を含む懇親の輪が広がるとともに、ますます強固なものとなり、『十二月クラブの行事』は『我が家の行事』とまでに同化したと言える。
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会の財政的基盤の確立
現役時代の、卒業周年毎に『記念募金』を行い、「記念行事」を盛大に挙行するとともに、母校・如水会・植樹会等への「寄付行為」や、「記念文集の刊行」をその都度行ったうえで、なお、最高時では「700万円」を超える『クラブ基金』を所有するという『金持ち同期会』となり、かつ毎年の各事業計画の実行は、その催し毎の収支均衡のため『基金』は減額せず、『胸を張っての運営』の基盤が確立されたことは、活性化に大きく寄与したものと考えられる。
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多数の委員会・同好会の設置
『委員会』は当クラブの運営をより円滑・活発にするための組織であり、「企画」「名簿編集」「東西懇談会」「合同慰霊祭」「すこやか」「母校連絡」「如水会連絡」「周年記念行事準備」「クラブ通信編集」等があり、最近は60周年記念事業の一環として「如水会ネット」に『十二月クラブ独自のホームページ』を立ち上げるための委員会『DCHP委員会』と数多く設置されており、それぞれに精力的に活動している。
また『同好会』は、同好の士(姉)で「通常例会」以外の日にも集まろうということで「芸術観賞」「海外旅行」「旅行散策」「ゴルフ」「麻雀」「囲碁」「カメラ」が存在し、別欄でご紹介するように、それぞれに、盛大に行事を行つて来た。
「海外旅行」「ゴルフ」「麻雀」「囲碁」各同好会の歴史は、刮目すべき実績を記録している。
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内容充実の『会員名簿』の作成
当クラブの『会員名簿』は、極めて「ユニーク」なものである。「予科クラス」「高商組」別の各人の欄には、一般の「住所事項」「勤務先(主な前歴)」のほかに「ゼミ」「出身中学・高商」「趣味」だけでなく、100字以内での家族紹介の欄があり「家族(妻・子・孫、かつては親)の氏名」「生年月日」「勤務先」「在学校名」等が記載されており、家族間の交流に役立っている。
また、普通の名簿では、「故人」は「別欄」に追いやられるものであるが、氏名に「下線」を引くのみで、そのままとし、「命日」、家族からの連絡があれば「戒名」「墓所」の記載もされることになっている。
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各種行事に夫人同伴、家族同伴の励行
当初から、「一橋祭参加家族親睦会」や「東西懇談会」の行事には、夫人及び家族の同伴を励行し、いつも100名を超える参加者の「半数は家族」という状況が定着したこと。
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7. |
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死亡会員夫人を準会員とする制度の採用
会員が高齢化すると、病気・死亡で同期会への参加者は減少し、会勢も急速に衰えるのが常であるが、当クラブでは、卒業50周年の年に当り、会員が死亡したときは、その「夫人」または「近親者」は、希望を述べれば『準会員』となり、月例会をはじめ全ての行事の連絡、クラブ通信・会員名簿の送付等について会員と同じに取り扱うこととし、現在60名の準会員が登録されており、諸行事に参加されておることも、活性化の原動力になっている。
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5年毎の合同慰霊祭の挙行
『卒業30周年記念行事』として挙行した『合同慰霊祭』は、35・40・45・50・55年の各周年に回を重ね、平成13年の60周年では『第7回目』の祭典を恒例の『浅草寺大牌殿』で行う予定で、準備を進めているところである。
毎回、多数の遺家族が参会し、今回も会員を含め、130名を超える盛会が予想されている。この慰霊祭での会合の『縁』で、遺家族の各種行事への参加も、数多く記録されている。
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9. |
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海外旅行・国内旅行の実施
「本格的な特別企画での海外旅行」実績20回、「1・2泊の国内旅行としての東西懇談会」の実績は今年で40回、全て「家族同伴旅行』である。
国内旅行での『宴会後』には、必ず「幹事部屋」での二次会で、正に胸襟を開いての「昔話」となる。全員が一家族同様となる。
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関西支部の設立
われわれの同期会は、どうしても「東京偏重』となる。関西地区での会員・準会員数は、現在20名前後に減少したが、卒業50周年を期に関西支部を設立し、支部長は副幹事長とすることにした。毎年の支部会には、本部からも参加(平成13年は3名)し、交流を図つている。「合同慰霊祭」には『関西地区』からの参加者も多い。
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「寄付行為」と「記念文集の刊行」
前述のように、各周年の記念事業としての寄付行為は、母校に対しては、図書館前の池畔の『ベンチ8脚』『日時計部品の修復』、正門の『マーキュリー紋章』で25・30・40・50・60周年総額で約200万円、如水会に対しては『ピアノ』『絵画』等で相当金額60万円、一橋植樹会に対しては50周年時に50万円のほか毎年2万円、『戦没学友の碑』の管理補助費として10万円等で、同期会としては多額を数えている。
また、『記念文集』としては「30周年(318頁)」「40周年『波濤1号』(648頁)」「50周年『波濤2号』(1178頁)」の刊行があり、このほかに「25周年記念アルバム」を刊行している。
これらの事業の実施は、会員、会員家族の心情にも『同窓会意識の高揚』に、相当程度に影響しているものと推測される。
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「クラブ通信」の刊行
「クラブ通信」は、原則として毎年4・8・12月の「3回」刊行されている。毎回20〜28頁建ての立派な印刷物で写真も豊富、「如水会報」の配達のない、準会員にとっては、毎回、待ち遠しい「連絡版」である。
卒業60周年の『記念特別号』では、殆どの会員のほか、多数の準会員からの投稿があり、編集委員は編集に大童である。
これも『予算』があってできる事業、財政基盤の確立が肝要の所以である。
以 上
中村 達夫
筆者、平成13年(2001)7月、12月クラブ月例会にて
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