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 卒業満15周年記念 合同級会 昭和31年9月15日 伊東大阪屋
 「12月クラブ」(昭和60年発行随筆集旅想より)7組菅井淑行
 「12月クラブの正体」「60周年(通信特集)6組大野晴里」 

   
 中 村  達 夫

旧如水会館(大正8年6月30日落成)
旧如水会館 (大正8年6月30日落成)
 

  20周年記念総会 
       記念写真
 十二月クラブの回顧
 (20周年〜30周年)
(1)
 (2)    (3) 
   (30周年文集より)

  「十二月クラブ」とは、正式には、東京商科大学(現「一橋大学」)の「昭和16年学部後期卒業の同期会」の名称である。

 この同期会(以下「当クラブ」という)は、「卒業20周年記念大会」のときにそれまで時折開設して来た同期会活動を「組織的に」「継続し」かつ「より活発に」行おうという目的で結成されて以来、今年卒業60周年を迎える間の40年間にわたり、クラブ活動を継続・実施し、実績を重ねてきた。

 このクラブ活動の実績の詳細に関しては、今後、各項目毎に、この1年間をかけて、他の興味深い情報・所論等々とともに、毎月「当HP」に「追加掲載」することが当クラブ「卒業60周年記念」の一事業なので、平素から「如水会NET」におなじみの諸兄姉には、是非他のHPとともに、「当HP」も開かれる様、お楽しみにして頂きたい。

 さて、「当クラブ」が過去39年間に、積み上げてきたクラブ活動実績とはどんなことかというと、数限りないのだが、「クラブの名称」に因んで「12項目」ほどにに整理してみよう。

  1. 過去39年間、毎月(最近の8年間は,8月を夏休みとした。)休むことなく「月例会」を開催し、かつ毎回、平均40名以上の出席者が続いている。
  2. 卒業30周年以来、5年毎の周年記念に、浅草寺において、全国からの遺族を交えて、盛大な「合同慰霊祭」(毎回の参会者は100名以上)を継続開催している。
     (今年10月に「第7回」の法要が予定されいる。)

  3. 毎年「東西懇談会」という名称で一泊(最近10年は二泊)の家族国内旅行を隔年東西交替で実施し、首都圏に偏らない交流をしている。
  4. 原則として毎年2月に「新年家族懇親会」という名称で、如水会館スタ−ホ−ルにおいて、著名な芸術家による演奏・舞踊等を楽しみ、家族(主として夫人同志)の親睦を重ねている。
     (平成3年までは毎年11月に子供・孫達を巻き込んで)「一橋祭参加・家族懇親会」も開催した。

  5. 月例会のほか囲碁、麻雀、ゴルフ,旅行散策、芸術鑑賞、カメラなどの同好会が開催されており、「海外旅行同好会」は21回もの輝かしい実績を記録している。
  6. 他の同期会では考えられない多額の「基金」を保有している。

  7. 5年毎の周年記念に母校・如水会・植樹会等に「寄付行為」を実施している。

  8. 上記各行事の記録が「完璧に文字化」され、整理・保管されてある。

  9. 内容の充実した「周年記念文集(3冊)」・「記念アルバム(1冊)」が刊行された。
     ほかに「クラブ通信」が年3回発行され、第106号を数えている。
     (2001年12月現在、109号。これらは、総て如水会館14Fの記念図書室で閲覧できます。)

  10. 生年月日・家族名(夫人・子・孫)等も含む「家族名簿」が完備されている。
  11. 一流企業の役員のほか、国連大使・在外公館大使・学士院会員等、数々の名士を輩出している。
  12. 当クラブの「代表者(幹事長)」は、特定者に偏らない様に配慮し,現幹事長は「第13代目」である。

中村 達夫  

 

 中 村  達 夫

 当クラブが結成されて以来、40年間の長きにわたり、溌刺たる活動が続いている秘密・源泉は何か? ということの質問を、各方面から受ける。
 その「キィ」は、数え切れないほどあると考えられるが、これも「クラブ名」に因んで『12項目』に絞ってご披露しよう。

1.   「代表者(幹事長)」任期の限定

 当クラブには、設立当初から、しっかりとした『会則』及び『内規(3編)』並びに『取扱(1編)』が設けられており、これに基づく「組織的活動」が行われているが、「仲良し会」にありがちな、『面倒見の良い「万年幹事」に全てお任せ』という方式ではなく、代表者(幹事長)の任期を限り、「予科のクラス」「高商組」から「交替」で選出するようにしたことが、良い結果を生んだと思われる。
 現在の幹事長は『13代目』であり、この40年間に「再選者無し」はご立派な実績であろう。また、歴代の幹事長経験者は「名誉幹事」として処遇、『幹事会』への『出席権を認めていることも、結果的には「有効」に作用している。

 

2. 各担当クラス企画の『月例会』の開催

 「同期会」と言えば、一般には「年1回」か、活発な年次でも「年2〜3回」が普通であううが、当クラブでは、『卒業20周年』という「働き盛り」の年代だったにも拘らず『毎月12日に集まりましょう』との呼ぴ掛けと、例会の企画を、各クラスの担当にしたことが功を奏し、当初の例会は内部の「講師」で始まったが、回を重ねる毎に、各分野における『著名スピーカー』が陸続し、毎回の参会者が常に40〜60名という盛況が続いた。
 当時の『スピーカー』の名を拾ってみると、「大平正芳氏(当時外相)」「平沢和重氏」「増田学長」「中山素平氏」「永末英一氏」「ドクトル・チエコ氏」「川又克二氏」「金森久雄氏」「春日野親方」「伊東光晴氏」「森泰吉郎氏」「佐橋滋氏」「永井道雄氏」「佐藤紀久夫氏」「竹下景子氏」「その他経済・情報・医学・芸術の専門家多数」等々と、よくもこれだけの「著名人」を「小さな同期会」にお呼びすることができたと、溜め息が出る思いである。
 かつ、その間には、「新年家族懇親会」「旅行」「観劇」「史跡巡り」「一橋祭参加」「海外旅行」等々の行事を、毎回多数の参加者で「毎月挙行」したのであるから、家族を含む懇親の輪が広がるとともに、ますます強固なものとなり、『十二月クラブの行事』は『我が家の行事』とまでに同化したと言える。

 

3. 会の財政的基盤の確立

 現役時代の、卒業周年毎に『記念募金』を行い、「記念行事」を盛大に挙行するとともに、母校・如水会・植樹会等への「寄付行為」や、「記念文集の刊行」をその都度行ったうえで、なお、最高時では「700万円」を超える『クラブ基金』を所有するという『金持ち同期会』となり、かつ毎年の各事業計画の実行は、その催し毎の収支均衡のため『基金』は減額せず、『胸を張っての運営』の基盤が確立されたことは、活性化に大きく寄与したものと考えられる。

 

4. 多数の委員会・同好会の設置

 『委員会』は当クラブの運営をより円滑・活発にするための組織であり、「企画」「名簿編集」「東西懇談会」「合同慰霊祭」「すこやか」「母校連絡」「如水会連絡」「周年記念行事準備」「クラブ通信編集」等があり、最近は60周年記念事業の一環として「如水会ネット」に『十二月クラブ独自のホームページ』を立ち上げるための委員会『DCHP委員会』と数多く設置されており、それぞれに精力的に活動している。
 また『同好会』は、同好の士(姉)で「通常例会」以外の日にも集まろうということで「芸術観賞」「海外旅行」「旅行散策」「ゴルフ」「麻雀」「囲碁」「カメラ」が存在し、別欄でご紹介するように、それぞれに、盛大に行事を行つて来た。
 「海外旅行」「ゴルフ」「麻雀」「囲碁」各同好会の歴史は、刮目すべき実績を記録している。

 

5. 内容充実の『会員名簿』の作成

 当クラブの『会員名簿』は、極めて「ユニーク」なものである。「予科クラス」「高商組」別の各人の欄には、一般の「住所事項」「勤務先(主な前歴)」のほかに「ゼミ」「出身中学・高商」「趣味」だけでなく、100字以内での家族紹介の欄があり「家族(妻・子・孫、かつては親)の氏名」「生年月日」「勤務先」「在学校名」等が記載されており、家族間の交流に役立っている。
 また、普通の名簿では、「故人」は「別欄」に追いやられるものであるが、氏名に「下線」を引くのみで、そのままとし、「命日」、家族からの連絡があれば「戒名」「墓所」の記載もされることになっている。

 

6. 各種行事に夫人同伴、家族同伴の励行

 当初から、「一橋祭参加家族親睦会」や「東西懇談会」の行事には、夫人及び家族の同伴を励行し、いつも100名を超える参加者の「半数は家族」という状況が定着したこと。

 

7. 死亡会員夫人を準会員とする制度の採用

 会員が高齢化すると、病気・死亡で同期会への参加者は減少し、会勢も急速に衰えるのが常であるが、当クラブでは、卒業50周年の年に当り、会員が死亡したときは、その「夫人」または「近親者」は、希望を述べれば『準会員』となり、月例会をはじめ全ての行事の連絡、クラブ通信・会員名簿の送付等について会員と同じに取り扱うこととし、現在60名の準会員が登録されており、諸行事に参加されておることも、活性化の原動力になっている。

 

8. 5年毎の合同慰霊祭の挙行

 『卒業30周年記念行事』として挙行した『合同慰霊祭』は、35・40・45・50・55年の各周年に回を重ね、平成13年の60周年では『第7回目』の祭典を恒例の『浅草寺大牌殿』で行う予定で、準備を進めているところである。
 毎回、多数の遺家族が参会し、今回も会員を含め、130名を超える盛会が予想されている。この慰霊祭での会合の『縁』で、遺家族の各種行事への参加も、数多く記録されている。

 

9. 海外旅行・国内旅行の実施

 「本格的な特別企画での海外旅行」実績20回、「1・2泊の国内旅行としての東西懇談会」の実績は今年で40回、全て「家族同伴旅行』である。
 国内旅行での『宴会後』には、必ず「幹事部屋」での二次会で、正に胸襟を開いての「昔話」となる。全員が一家族同様となる。

 

10. 関西支部の設立

 われわれの同期会は、どうしても「東京偏重』となる。関西地区での会員・準会員数は、現在20名前後に減少したが、卒業50周年を期に関西支部を設立し、支部長は副幹事長とすることにした。毎年の支部会には、本部からも参加(平成13年は3名)し、交流を図つている。「合同慰霊祭」には『関西地区』からの参加者も多い。

 

11. 「寄付行為」と「記念文集の刊行」

 前述のように、各周年の記念事業としての寄付行為は、母校に対しては、図書館前の池畔の『ベンチ8脚』『日時計部品の修復』、正門の『マーキュリー紋章』で25・30・40・50・60周年総額で約200万円、如水会に対しては『ピアノ』『絵画』等で相当金額60万円、一橋植樹会に対しては50周年時に50万円のほか毎年2万円、『戦没学友の碑』の管理補助費として10万円等で、同期会としては多額を数えている。
 また、『記念文集』としては「30周年(318頁)」「40周年『波濤1号』(648頁)」「50周年『波濤2号』(1178頁)」の刊行があり、このほかに「25周年記念アルバム」を刊行している。
 これらの事業の実施は、会員、会員家族の心情にも『同窓会意識の高揚』に、相当程度に影響しているものと推測される。

 

12. 「クラブ通信」の刊行

 「クラブ通信」は、原則として毎年4・8・12月の「3回」刊行されている。毎回20〜28頁建ての立派な印刷物で写真も豊富、「如水会報」の配達のない、準会員にとっては、毎回、待ち遠しい「連絡版」である。
 卒業60周年の『記念特別号』では、殆どの会員のほか、多数の準会員からの投稿があり、編集委員は編集に大童である。
 これも『予算』があってできる事業、財政基盤の確立が肝要の所以である。

  以 上

中村 達夫 

 


筆者、平成13年(2001)7月、12月クラブ月例会にて

 

 

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