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海外だより
●シアトルだより(2)
米国の暦では、秋分から秋に入ります。しかし、シアトルでは8月の下旬から肌寒くなっており、 「冬がそこまでやってきた」という感じです。 ワシントン州は、ボーイングで人減らしが続いて いるのと、州財政の悪化に伴って公務員が削減 されているため、米国の中でも特に失業率が高いですが、マイクロソフトを初めとするコンピューター 関連産業は、新規投資を始めており、新規雇用 計画を発表してもいます。そろそろ景気も好転 するかな、という期待感を多くのワシントニアンが 持ち始めています。

今回は、私的なことを報告させて下さい。
この夏、 次男が結婚しました。次男は5月に神学校を出てサンノゼにあるメソディスト教会の牧師になって いますが、相手は神学校の1年後輩、2年間付き 合った後に、挙式しました。私と家内は、これまで 何度も米国人の結婚式に招待されていますが、招待する側になったのは初めてのことであり、着る物の打ち合わせ、結婚式の費用の分担、 リハーサル等々、面白い経験をしました。
次男と私が着たのはタキシードですが、最近の流行は、タキシードでもボウタイでなくロングタイを することで、そんなことも初めて知りました。

シアトルから北カリフォルニアのパラダイスまで 運転、リハーサルディナーを主催し(料理も家内と二人で作りました)、結婚式、レセプション、 ギフト披露等々に出て、日本からの出席者を サンフランシスコに案内、ヨセミテ・レイクタホと 回って、シアトルに戻りました。10日間、 2700マイル(4300キロ)の旅でした。
Eクラス 後藤 浩

From right, myself, my wife, our son Shinya, our daughter-in-law Jennifer, my wife's syster 
●ロスアンジェルスだより
昭和42年卒業生の卒業35周年記念大会の開催、おめでとうございます。

記念大会開催に向けて幹事の皆様のご苦労多かったことと思います。
それだけに会場にご参集の皆様方の再会の喜びも大きなことでしょう。

髪に白いものが混じるのも忘れ、頬のしわも引き締まったかのごとく、酔いしれ歓声をあげる会場の光景が、海を渡ってくるのではないか、そんな思いでこのメッセージを書いております。

<最近の状況と感じていること>
1980年代前半にサンフランシスコに駐在し、1999年からはロスアンジェルス東方100Kmの内陸で2回目のアメリカ勤務をしています。

インターネットなどの情報技術の発展で、20年前には予想もつかなかったスピードで日本の情報が入り、また日常の交信が出来るのはありがたいことです。

残念ながら情報や更新の中身に、勢いや明るさがないのことが気になっています。

アメリカ経済も昨年からはバブルが弾けたかのような様相を呈し、テロ対策もあいまって生活に不便と不安があることは否めません。

しかし、欧州系、アフリカ系、ラテン系、アジア系を問わず、当地の人々には明るさと活力が十分に残っています。むしろ彼らは今のときをチャレンジと捉え、目の前には山ほどのオポチュニティーがあると、前向きに取り組んでいます。

現地販売会社の業績を伸ばすのが与えられた役目ながら、当地の人の価値観や行動力も学びたいと2度目の駐在をエンジョイしています。

<お誘い>
お互い公私に忙しいとは言うものの、時間のやりくりにはいささかの余裕がでてきたことと思います。そのような時間を有効に使うのに、カリフォルニアにお出かけになりませんか。事前にご連絡を頂ければご案内の役にたてるだろうと思います。

パームスプリングスでのゴルフ
ラスベガスでのカジノ
ヨセミテ、グランドキャニオン 等々

大会の盛り上がりとともに皆様のご健康とご発展をお祈りします。
昭和42年端艇部・社会学部卒業 本田英生
●ジャカルタだより
一橋42年卒業35周年の記念大会、心からおめでとうございます。

僕は、もう何年も前から絶対参加すると決めていましたが、今回はどうしてもいけなくなってしまって残念でなりません。

現在、空手の弟子を大勢引連れてユーゴスラビアのベオグラードにきています。
ここでの大会はとても大事なので、これまで随分がんばってきました。

35周年記念大会に参加している学友の皆さん! 年をとっても、僕はこうやってがんばっています。皆さんも、もっともっとがんばって一橋の名に恥じないように活躍してください。

インドネシア語で、「万歳!」のことを「hidup(ヒドゥーッ(プ)!」と言います。
皆さんも、腹のそこに力を入れて、思い切り、一緒に唱和してください。

「一橋大学42年、ヒドゥーッ(プ)!」
もう一度いきましょう。
「一橋大学42年、ヒドゥーッ(プ)!」
2002年10月19日
インドネシア伝統空手協会チェアマン 一橋大学商学部、Dクラスおよび空手部卒業 サベス・ムクシン
●ミシシッピだより
異常気象の影響でしょうか、南部というのに氷点下13度の日があったり、雪がちらついたり天候までおかしくなっています。

生産拠点の中国シフトが津波のように進んでいる影響は、ここアメリカ南部にも及び始めております。長らくお取引いただいてきた日系の電機会社が中国からの輸入品に市場を蚕食され、品質、機能での差別化も大勢を覆すまでには至らず、米国内での生産がいつまで継続できるかという議論が交わされる昨今です。ウォルマートに代表される巨大小売業は、低価格を前面に押し出し熾烈な販売合戦を繰り広げています。DVD機が49ドル、電子レンジも40ドル台という中国製の目玉商品が山積みされる売り場を見るにつけ、家電事業の将来を憂えずにはいられません。同じ町にあった、電気製品のエマーソン社は、12月で工場を閉鎖し撤退していきました。

不況の影は当地にも忍び寄っています。クリスマス商戦で売れたのは低価格品だけで、家電全体では売上が20%近く落ち込んだと聞いています。対イラクの戦争は、景気対策になるからと訳知り顔でコメントする人もおります。予備役でヘリコプターの整備部隊に所属するわが社のエンジニアが、「いつ召集になるか分からないから承知しておいてほしい。」と申し出てきました。私と同じ世代の彼の父親はベトナムに出征しています。現在にいたるまでアメリカという国が、どの世代も戦争に関わっていたという事実を身近に感じました。ここのところTVはコロンビア号の事故と戦争関連のニュースが大きなウェイトを占めています。

軍隊で沖縄にいたという人が周囲に何人かいます。身内が沖縄にいると話かけてくる従業員もいます。沖縄イコール日本という理解をするアメリカ人がかなりいることに驚きました。われわれが軍事基地沖縄、そこに駐在する米国軍という捕らえ方をし、政治的な見方に傾くのに対し、彼らはあっけらかんと「沖縄の人は礼儀正しい、素敵な人たちだった。」「焼きそばがおいしかった、今でも懐かしい。」「日本は安全で、清潔な国だ。」と日常生活の感想を述べてきます。姉が沖縄に駐屯していると教えてくれた作業者に消息を聞いたところ、サウジアラビアに転属になったという答えでした。上官から家族に当てた近況連絡の手紙も見せてくれました。ここにもイラク戦争の影が見えました。

南北戦争(こちらの人はCivil War と言っています。)の戦いの歴史が、当地に色濃く残っています。生粋のミシシッピアンどもは、「名誉ある撤退」と言い張って敗戦を認めません。いまだに南軍の旗を掲げて憚らぬ連中もかなりいます。社内で「あの人はヤンキーだから根性が悪い。」と内緒話を披露するインテリ女性がいます。メンフィスの通称マッドアイランドというミシシッピ河の中洲に小さな博物館があります。そこに陳列された南北戦争時代の軍服をみると、当時の米国人の体格が意外に小柄だったことが伺われて驚きました。軍船を仕立ててミシシッピ河から攻める北軍を迎え撃って、南軍が川岸の要塞から反撃したという史実も初めて知りました。

メンフィスはキング牧師が暗殺された町です。西隣のアーカンソー州の州都リトルロックは公民権運動の焦点になる事件がおきた町でした。ミシシッピ大学でも黒人学生がはじめて入学するときには軍隊が出動したそうです。いずれも1960年代の事件です。表面的に差別は見られませんが、いまだにアメリカ社会の根底に纏わりつく問題です。会社で上院議員の失脚騒ぎを何気なく口にしたとき、周囲から「その話はだめですよ。」という厳しい視線を浴びてしまいました。

ノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーはわが町(ミシシッピー州オクスフォード)に住んでいました。彼の家は記念館になっています。彼の代表作「八月の光」の、外見は白人で黒人の血をひいている主人公の孤独が、この土地に住んで如何に深刻か推測できるように思います。会社のパーティーでふと気がつくと誰が指示したわけでも、あらかじめ指定したわけでもないのに私の座った席を境に、白人の席と黒人の席が別れていました。もちろんお互いに行き来して家族を紹介したり、おしゃべりしたり和やかでしたが食事をするのは見事なまでに分かれていました。人種差別が罷り通っていた時代に、このどちらの席にも座れない存在となることは、絶望的なまでに残酷で孤独なことだったろうと思います。今をときめく人気作家グリシャムもミシシッピ大学の卒業で近くに広大な屋敷を構えていました。二人の作家の作品に当地の時代の流れを感じ取ることができるようです。

I クラス 阿部祐一(ミシシッピより)
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