異常気象の影響でしょうか、南部というのに氷点下13度の日があったり、雪がちらついたり天候までおかしくなっています。
生産拠点の中国シフトが津波のように進んでいる影響は、ここアメリカ南部にも及び始めております。長らくお取引いただいてきた日系の電機会社が中国からの輸入品に市場を蚕食され、品質、機能での差別化も大勢を覆すまでには至らず、米国内での生産がいつまで継続できるかという議論が交わされる昨今です。ウォルマートに代表される巨大小売業は、低価格を前面に押し出し熾烈な販売合戦を繰り広げています。DVD機が49ドル、電子レンジも40ドル台という中国製の目玉商品が山積みされる売り場を見るにつけ、家電事業の将来を憂えずにはいられません。同じ町にあった、電気製品のエマーソン社は、12月で工場を閉鎖し撤退していきました。
不況の影は当地にも忍び寄っています。クリスマス商戦で売れたのは低価格品だけで、家電全体では売上が20%近く落ち込んだと聞いています。対イラクの戦争は、景気対策になるからと訳知り顔でコメントする人もおります。予備役でヘリコプターの整備部隊に所属するわが社のエンジニアが、「いつ召集になるか分からないから承知しておいてほしい。」と申し出てきました。私と同じ世代の彼の父親はベトナムに出征しています。現在にいたるまでアメリカという国が、どの世代も戦争に関わっていたという事実を身近に感じました。ここのところTVはコロンビア号の事故と戦争関連のニュースが大きなウェイトを占めています。
軍隊で沖縄にいたという人が周囲に何人かいます。身内が沖縄にいると話かけてくる従業員もいます。沖縄イコール日本という理解をするアメリカ人がかなりいることに驚きました。われわれが軍事基地沖縄、そこに駐在する米国軍という捕らえ方をし、政治的な見方に傾くのに対し、彼らはあっけらかんと「沖縄の人は礼儀正しい、素敵な人たちだった。」「焼きそばがおいしかった、今でも懐かしい。」「日本は安全で、清潔な国だ。」と日常生活の感想を述べてきます。姉が沖縄に駐屯していると教えてくれた作業者に消息を聞いたところ、サウジアラビアに転属になったという答えでした。上官から家族に当てた近況連絡の手紙も見せてくれました。ここにもイラク戦争の影が見えました。
南北戦争(こちらの人はCivil War と言っています。)の戦いの歴史が、当地に色濃く残っています。生粋のミシシッピアンどもは、「名誉ある撤退」と言い張って敗戦を認めません。いまだに南軍の旗を掲げて憚らぬ連中もかなりいます。社内で「あの人はヤンキーだから根性が悪い。」と内緒話を披露するインテリ女性がいます。メンフィスの通称マッドアイランドというミシシッピ河の中洲に小さな博物館があります。そこに陳列された南北戦争時代の軍服をみると、当時の米国人の体格が意外に小柄だったことが伺われて驚きました。軍船を仕立ててミシシッピ河から攻める北軍を迎え撃って、南軍が川岸の要塞から反撃したという史実も初めて知りました。
メンフィスはキング牧師が暗殺された町です。西隣のアーカンソー州の州都リトルロックは公民権運動の焦点になる事件がおきた町でした。ミシシッピ大学でも黒人学生がはじめて入学するときには軍隊が出動したそうです。いずれも1960年代の事件です。表面的に差別は見られませんが、いまだにアメリカ社会の根底に纏わりつく問題です。会社で上院議員の失脚騒ぎを何気なく口にしたとき、周囲から「その話はだめですよ。」という厳しい視線を浴びてしまいました。
ノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーはわが町(ミシシッピー州オクスフォード)に住んでいました。彼の家は記念館になっています。彼の代表作「八月の光」の、外見は白人で黒人の血をひいている主人公の孤独が、この土地に住んで如何に深刻か推測できるように思います。会社のパーティーでふと気がつくと誰が指示したわけでも、あらかじめ指定したわけでもないのに私の座った席を境に、白人の席と黒人の席が別れていました。もちろんお互いに行き来して家族を紹介したり、おしゃべりしたり和やかでしたが食事をするのは見事なまでに分かれていました。人種差別が罷り通っていた時代に、このどちらの席にも座れない存在となることは、絶望的なまでに残酷で孤独なことだったろうと思います。今をときめく人気作家グリシャムもミシシッピ大学の卒業で近くに広大な屋敷を構えていました。二人の作家の作品に当地の時代の流れを感じ取ることができるようです。 |