旅の始まり
妻の四十九日の法要を済ませ、もろもろの思いがきりきり心を突き刺していた2008年の晩秋の日、地元我孫子市の混声合唱団「響」の稲葉さんのお誘いでチェコ、スイス演奏旅行にお供させて頂くことにした。
20年来在籍する地元の男声合唱団シャウティングフォックスでフォーレのレクイエム(男声合唱用編曲)、3年前に引っ張り込まれた混声合唱団コール・ヴォンネではバッハのモテットという難曲に取り組んでいる最中ということもあって、ついつい不精したまま練習場に行くことが多かった。年末まではとにかく音程を耳に入れて家でおさらいするのがやっとという状態。孫たちが帰って静かになった正月明け、心を入れ替えて楽譜に向かった。
海外の演奏旅行は2度目。前回2006年7月はコール・メルクールOB主体のドイツ演奏旅行。大事件、珍事件の連続で疲労と爆笑と感動が帰国後1か月残った。今回は上品な混声合唱団のお供とあって、シャウティングフォックスの面々から「くれぐれも失礼、落ち度のなきよう、フォックスの『名声』を貶めぬよう行動を慎むべきこと。」「パスポートをなくしても土産のワインは忘れぬこと。」などコンコンと(何せ狐だもの)言い含められた。とどめに出発前夜、メルクールの1年先輩でもあるAK氏から下記のごときメールが送られてきた。
阿部さま
AKです。「出発日、集合時間、場所を間違えない」だけではダメだ!と思います。 搭乗ゲートを間違え、シカゴに行くはずがシアトルに行った人もいますからね。 なにより心配なのは、今回の場合、行き先がチェコ、スイスと二か所あること。 チェコが先か、スイスが先か・・・くれぐれも、この順番を間違えないように!
また、無事にチェコに着いたとしても、演奏会場に辿りつけるかどうかは全く別問題。 某男声合唱団のドイツ演奏旅行時の、某氏の例を、よく覚えておられるでしょう! 一番、安全なのは、イナバ女史、アンドウ夫人に、ザイル、腰ひもで括りつけてもらい、「護送方式」で行くことですが、そうすると多分、「AB機内持ち込み不可」となる・・・というような心配をせず、よく眠って朝を迎えてください。
ABの心の友なるAKより
(注)この某氏の例とは、アウトバーンの休憩所に一人置き去りにされた事件。シアトルに行ってしまったドジなお方はAK氏が在籍した某大銀行の検査マン。どちらも私ではない。
追いかけるようにお節介なSA氏からは
「ABさま いいな〜、イナバサンと二人きりでプラハの春を散策、モルダウ河の畔のとあるレストランのテラスで「我が祖国」を聴きながらワインをかたむける。これぞ渡辺淳一の世界!」
という嫉妬か脅迫か妄想か、はたまた単なる野次か分からぬメールも届く始末。「小さな親切、大きなお世話。」だ。
5月21日(金)
出発だ。半日を超える飛行機の旅は暇を持て余す。気休めに楽譜をめくり、文庫本を広げ、機内ヴィデオを眺め、結局どれにも身が入らず居眠りする。食べることだけはしっかり付き合う。サラリーマン時代何度こんな時間を過ごしたことか。でもこの旅は会議もない、しんどい交渉もない、資料をさらうこともない、報告書の作成も不要。何よりも帰国後の「言い訳」「言い逃れ」を考えずともよい幸せな旅である。さてもう一眠り。「明日できることは今日するな。」けだし名言。
チューリヒ経由プラハ着18時50分。プエリガウデンテス合唱団のジョージ氏、ズデナ女史が出迎えて下さる。数えてみたらチェコは私の訪れた25番目の国。自動小銃を持った兵士が町中を闊歩しているテルアビブは怖かった。脱ぎっぱなしの靴の中にサソリが待っているサウジアラビアの灼熱の砂漠のど真ん中にも行った。ダイヤモンドダストが舞う真冬のモスクワにも行った。あの時は、「ついでにシベリヤの工場にもご案内したい。」という取引先の親切な「暖かい」申し出を必死の思いでお断りして逃げ帰ったものだ。
5月22日(土)
プラハの初日、ブッフェ形式のホテルの朝食が美味しい。食べられるものは逃さず食べておくのが旅の鉄則、と言い訳しつつ食べて過ぎてしまう。
練習前のひと時、プラハの街を散策。ガイドさんを見失わぬよう緊張してついてゆく。地下鉄で4駅くらいか、もう中心部である。「あれが『フィガロの結婚』を初演した劇場です。」指差す先に淡い緑色の外壁が美しい劇場がたたずんでいる。この石畳の上をW・A・モーツアルトを乗せた馬車が劇場指して走ったのだ。その感慨を打ち破るように嬌声をあげながら修道女姿の一団がやってきた。学校行事の寄付を募る高校生の連中らしい。ふと目があった可愛い娘ちゃんにクラっときて小銭を出してしまう。「この広い道の先が小高い丘になってるでしょ。あそこから我々を見下ろすようにスターリンの巨大な像が立ってたんですよ。自由の回復と同時に消えてもらいましたけどね。」ふと右を見ると広場の中央にヤン・フスの銅像がある。この宗教改革の旗手と歴史の教科書に載っていた人物だって、異端の汚名をそそがれ歴史に復活したのはそう古い話ではない。1968年の「プラハの春」でもこの広場で多くの血が流され、尊い命が奪われている。
ホテルに戻り一休みして練習場へ。地下鉄と路面電車を乗り継いで移動。昼食はご当地の居酒屋かと思われる店。そして練習。音楽学校の教室。ズデナ女史が顔を見せてくださる。時差ボケも歌えば直るというもの。練習中降り出した激しい雨は終わるころには上がって一安心。ひと雨あった後の涼しい大気が心地よい。ホテルに戻って本番の準備。
プラハにも渋滞があった。リハーサルの時間をやりくりしてもらってぎりぎり間に合う。重厚なこれぞヨーロッパの建築という趣の国立博物館のホールが会場。インテリアの豪華なこと!中央の踊り場がステージでそこに通じる階段に腰掛けるなり、正面の回廊で聴くなりするという趣向。夕方のひと時気軽に音楽を楽しむのだろう。残響はたっぷり。西洋音楽はこのような響きの中で磨きあげられてきたのだ。
プエリガウデンテス少年合唱団は基礎訓練が行き届いた優れた演奏をする。今日はまだ幼い顔も多くみられる。曲目によって入れ替わる。年長者は余裕の表情で歌っている。客席は親子連れ、お年寄りが多い。若いカップルも少し交る。みな音楽を心から楽しんでいる。こんなコンサートもいいものだ。
稲葉さんのチェコ語によるご挨拶。聴衆は見事なスピーチに引き込まれ、大喝采。チェコ語講座に通われた成果が立派に発揮された。これでペースはこちらのもの。第1ステージは、アヴェ・ヴェルム・コルプス(W・A・モーツァルト作曲)、平城山、黒田節幻想、叱られて、ゴンドラの歌。2曲目以降は日本のメロディー、この国の人には異国情緒を感じてもらえることだろう。
第2ステージは、美しく青きドナウ、そしてご当地の大作曲家スメタナの「モルダウ」。モルダウが始まる。藤先生の繊細なタッチでイントロが響き渡る。客席の空気がさっと引き締まる。日ごろオーケストラで聴きなれたモルダウのイントロが合唱のステージに流れる。「これは何事ぞ!」合唱が始まる。聴衆の表情が歌が進むにつれ和んでくる。海の向こう、地球の反対側からやってきた日本人が、おらが国のシンボルのごとき曲をこんな風に歌ってしまうのか!へぇー!やるねぇー!嬉しいねぇ!そんな顔がどんどん増えてゆく。わが方も知らず、知らずこの変化に影響される。素直に歌い感動が生まれる。どの曲よりも大きな拍手。指揮者の脇田先生が笑顔でこたえる。また大きな拍手。「音楽に国境はない。」も身をもって感じる。演奏は技術、技量だけではない。心が通い合った感動が身を包む。
少年たちとの合同演奏「ふるさと(日本語)」「おお牧場はみどり(チェコ語)」で会場はさらに盛り上がる。第1回のコンサートは無事終了。控室で交歓会。先方のご挨拶、伊勢団長のご挨拶、プレゼントの交換。終始和やかな雰囲気で交流が進む。
一同高揚した気分でホテルに戻る。時刻はすでに午後9時を過ぎる。会食は30分後。快い疲労感、それを上回る空腹。「オネーサンッ、ビール、ビール。アッそれから枝豆も!」と喉元まで出かかって、はっと気がつく。ここは我孫子の居酒屋ではない。フォックスの飲み会でもない。チェコ共和国の首都プラハの四つ星ホテル。吾輩は我孫子市民いや日本国民を代表して文化交流の使命を帯びる上品な混声合唱団「響」の一員。急ブレーキを踏み辛うじて抑え込む。その瞬間フォルティシモ”でお腹が”クワーッと鳴った。品性は隠しおおせるものではない。(次回7月に続く) |