NO10 ゴルフコンペ「西脇巌メモリアル」を計画
8月23日午後7時頃、西脇巌君(社・石田忠ゼミ、旭丘高)が急逝されました。心からご冥福をお祈りします。
8月23、24日と白河高原CCでのゴルフ会から帰って、25日(月)の朝、西脇君の悲報を伝えるメールを見て愕然とさせられた。さらに、逝去された日時を見て絶句した。ゴルフ会に参加した皆が、同じ思いをしたに違いない。23日の7時頃といえば、第1日のプレーを終えて、ゴルフ場に付設の温泉に入り、夕食懇談会をまさに始めようとしていた時間である。そして席上、昨年夏の第1回優勝者である西脇の話題もでて、心臓手術を終えて、現在はリハビリ中で、秋にはゴルフにも復帰すると聞いて安心をしていたのだが。
人の命の無常を感じずにはいられない。
西脇とは随分と同じ組で、一緒にプレーをさせてもらった。西脇のゴルフは、彼のゴルフにかける真摯な姿勢を反映して、粘り強さが身上の、決して投げないゴルフで、私はいつも反省しきりであった。練習にもよく取り組んでいて、練習場と同じようにドライバーショットを行うために、ゴム製のティを独自に加工して使用するなど、スコア向上のための工夫にも余念がなかった。
「何回も練習を繰り返し実戦でもよく使っていたロブショットを、自分は年と共に情熱を失って放棄してしまったが、西脇君はこの年齢になってもあの難しい技術に真剣に取り組んでいた。もっともっとゴルフが上手くなりたかったんだと思う。残念だったろう。あのアプローチ、君に代わってまたやってみるよ」(佐野)
「柔和ななかにも、びしっと芯の通った一言居士というのが彼の印象ですが、次回コンペで元気な顔が見られると思っていたのに…。本当に残念です」(堀)
「小平の寮で、隣の部屋が西脇と北爪だった。あまりモノは言わないのだが、西脇がいると落ち着くというか、求心力があるというか…」(穐山)。
私には、白河高原の夕食懇談会に、西脇がいつものように柔和なまなざしで、皆がいうことを静かに聞いていたような気がしてならないのである。
「本当に西脇君の魂は参加していたのかもしれませんね。今日棺の中に眠る西脇君に最後のお別れをしてきました。穏やかな、いい顔でした」(壇上)
第1回大会の優勝者でもある西脇君を偲んで、この夏季大会を「西脇巌メモリアル」と名付けようとの声が上がっている。
(吉澤記)