君あしたにさりぬ

ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる。

君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ。

岡の辺なんぞかくかなしき。


蕪村

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 3組 (故)下田 友吉 
    2003年逝去

 

浅草寺五重塔 十二月クラブでは、節目の年を選んで、生存会員とご遺族が一緒になって、東京浅草の金龍山浅草寺(きんりゅうさんせんそうじ)に於て、物故会員の冥福を祈るため、合同慰霊祭を施行して参っております。

 この合同慰霊祭は、当初は戦争で亡くなった学友に対する生存会員の感謝の気持ちから出発したものでありましたが、回を重ねる毎に物故会員の数が増して来、只今では老境に達した残り少ない会員が在りし日の親友を偲びそのご冥福を心からお祈りすると共に、自らの最後の人生の無事をも併せて祈る縁(よすが)ともしたいと考える心境になっております。

 聖観音宗本山浅草寺(あさくさかんのん)は如水会とは縁の深いお寺であります。特に如水会会長であった武村吉左衛門さんは戦後永らく同寺の信徒総代でありましたので、十二月クラブ以外のクラスでも多く合同慰霊祭を施行されていました。

 また十二月クラブとして更に、会員の公認会計士下田友吉氏は永らく同寺の会計顧問を勤めており、同じく会員の韮沢嘉雄氏は同寺の貫首清水谷孝尚猊下と中学の同級生であるというご縁も加わり、過去6回十二月クラブ物故会員合同慰霊祭を施行してきました。

回数 施行年月日 物故会員数 出席遺族 出席会員
第一回 昭和47年 1972.10.26(木) 62 35 35
第二回 昭和51年 1976.09.12(日) 70 41 48
第三回 昭和56年 1976.10.17(土)
クリック
86 43 62
第四回 昭和61年 1986.10.25(土) 104 64 69
第五回 平成 3年 1991.10.27(土) 122  81 75
第六回 平成 8年 1996.10.26(土) 158 57 57
第七回 平成13年 2001.10.27(土)
クリックすると
写真が出ます。

198 91 39

 

 合同慰霊祭の実施状況は上の通りです。因みに卒業時の会員数は352人で、内第二次世界大戦における戦没者は36人、卒業以来連絡の取れない不明者は16人、現在(2001.06.30)までの病気死亡者は149人であります。卒業60年、年齢81〜83才としては10%位生存率は高いかもしれません。

春遊、花をたずねて  1組 諸橋明子
近況  2組 高橋康子
兄であった弟  2組 立川長武の姉 西沢宏子
「城所吉男」を偲んで  3組 城所綾子
21世紀に想う  3組 二木正治の長女 小柴順子
竜胆の鉢贈られし誕生日  4組 岸寿江
亡き夫を偲んで  4組 毛塚洋子
想い出すままに  7組 伊豫田錦子
谷虎さんの天国からのメッセ−ジ  5組 谷虎三郎の長女 松井幸子
木村増三の思い出  7組 木村登志子
父、母の思い出  7組 阪口伸六郎の長女 三浦啓子
追想  7組 坂本栄子
自己流俳句”―父との対話の無限時間-  7組 坂本保の長男

 



合同慰霊祭に尽力された故坂田建樹君

 
 

 

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