君あしたにさりぬ
ゆうべの心千々に何ぞ遥かなる。
君を思うて岡の辺に行きつ遊ぶ。
岡の辺なんぞかくかなしき。
蕪村
2003年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2004年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2005年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2006年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2007年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2008年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2009年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2010年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2011年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2012年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2013年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2014年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2015年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
2016年物故者名簿・記念文集寄稿文並びに追悼文リンク
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
十二月クラブでは、節目の年を選んで、生存会員とご遺族が一緒になって、東京浅草の金龍山浅草寺(きんりゅうさんせんそうじ)に於て、物故会員の冥福を祈るため、合同慰霊祭を施行して参っております。
この合同慰霊祭は、当初は戦争で亡くなった学友に対する生存会員の感謝の気持ちから出発したものでありましたが、回を重ねる毎に物故会員の数が増して来、只今では老境に達した残り少ない会員が在りし日の親友を偲びそのご冥福を心からお祈りすると共に、自らの最後の人生の無事をも併せて祈る縁(よすが)ともしたいと考える心境になっております。 聖観音宗本山浅草寺(あさくさかんのん)は如水会とは縁の深いお寺であります。特に如水会会長であった武村吉左衛門さんは戦後永らく同寺の信徒総代でありましたので、十二月クラブ以外のクラスでも多く合同慰霊祭を施行されていました。 また十二月クラブとして更に、会員の公認会計士下田友吉氏は永らく同寺の会計顧問を勤めており、同じく会員の韮沢嘉雄氏は同寺の貫首清水谷孝尚猊下と中学の同級生であるというご縁も加わり、過去6回十二月クラブ物故会員合同慰霊祭を施行してきました。
|
春遊、花をたずねて | 1組 諸橋明子 |
近況 | 2組 高橋康子 |
兄であった弟 | 2組 立川長武の姉 西沢宏子 |
「城所吉男」を偲んで | 3組 城所綾子 |
21世紀に想う | 3組 二木正治の長女 小柴順子 |
竜胆の鉢贈られし誕生日 | 4組 岸寿江 |
亡き夫を偲んで | 4組 毛塚洋子 |
想い出すままに | 7組 伊豫田錦子 |
谷虎さんの天国からのメッセ−ジ | 5組 谷虎三郎の長女 松井幸子 |
木村増三の思い出 | 7組 木村登志子 |
父、母の思い出 | 7組 阪口伸六郎の長女 三浦啓子 |
追想 | 7組 坂本栄子 |
”自己流俳句”―父との対話の無限時間- | 7組 坂本保の長男 |
合同慰霊祭に尽力された故坂田建樹君 |
・/BODY>