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周年文集に寄稿された学友のゴルフ談義 (下線部分クリック)
「卒業30周年文集より」
2組古田土昌久「私の履歴書」9節.ゴルフ
古田土君とは宝塚ゴルフ場で、佐藤敏登君と一緒によくプレイした。バスケット部だったので、
シュートの癖がでたのか、ティーショットはジャンッピング・ショットとでもいおうか?
誰でもなんか癖があるものだ。
7組麻生泰正「松本信喜君のこと」3節
麻生君、松本君とは正月休み毎にに大利根CCでプレイした。
松本君(アラビヤ石油)とは私が中東・クウェイト・サウジアラビア中立地帯カフジ油田を訪問した1961年に、一夜密かに現地かまぼこ兵舎型宿舎で酌み交わした。
「卒業40周年文集・波濤より」
1組深谷光茂「ゴルフ談義」
「作り話のような」「本当にあった話」
単にホールインワンをやったという話ではありません、全く面白い話。
2組新宮徹也「趣味・読書・ゴルフ―ある回想記」
私共の年代が経験したゴルフを代弁してくれている感あり、妙。
3組田中林蔵「商社生活36年」7節。
田中君とは長竹CCメンバーとして一緒にプレイする機会があった。彼は長竹の総務理事でもあった。
上の寄稿は現役時代のことを書いたもので、7節に質素な欧州のゴルフに触れている。
学生時代は剣道部・直心影流(30周年文集「私と剣道」)だから、ゴルフショット時のインパクトはきいていた。
3組戸辺勝利「カナダ旅行の想い出」 その二、バンフのゴルフ
有志旅行の途次、5組小林悦生君のお骨折りで、バンフ、カナダでプレイされたそうで、最高。
3組野田勝哉「論語とゴルフ」
86歳2005年胃はなくてもまだプレイできる貴重な学友である。
不思議なことに一緒に回ったことがない、赤坂で中学時代の学友とともに飲んだことはしばしばあったが。
4組篠崎達夫「やきものとゴルフ」
6組熊倉実「どの位やっただらうか御勉強」
五ヶ条のご誓文でその一つゴルフは健康のシンボルというのも結構である。
同君が例会に女子プロ・有名な中村悦子女史を招聘して話をしてもらったことがあった。面白かった。
「卒業50周年記念文集・波濤第二より」
1組深谷光茂「思いつくままに」 二、ゴルフ 僕等の皆思っていたことのようです。
2組豊倉爾「ゴルフ雑感」 一、私のゴルフ 二、スポーツマン・シップ 三、ゴルフ技術論の不思議
一はカナダでゴルフを始められてから・・・。その後一々ごもっともなのです。
3組浮洲静太郎「北海道あれこれ」(北海道のゴルフ場)
3組柴沼庄左衛門「第三の人生」8節 「秋耀筑波」柴沼富国(絵画作品)
4組金井多喜男「社会人五十年の断片」3三井の森とゴルフ
金井君とは初歩時代東雲ゴルフ場でご一緒した、同君はブラジルで大分腕を上げたようだったが、その話には触れておられぬ。
三井の森では、教え魔の4組望月君(パン屋のおやじ)が金井君に盛んにレッスンしていたのが印象に残っている。「同好会」に三井の森でプレイしたときの記念写真が何枚か入れてある。
5組佐藤敏登「私のゴルフ時代誌」 昭和8年ごろから昭和54年頃までのゴルフ自分略史か?
クラス(5組)メートとのゴルフは別途詳述したい。
「卒業60周年記念特集号より」(十二月クラブ通信:別冊)平成13年12月(2001年)
1組倉垣修「通算165才の夫婦」 5節
湘南CCで1組木島君と一緒に廻った。倉垣君は胃がないにも拘らず、うまいゴルファーだ。
十二月クラブ通信(概要)(平成5年4月号・第83号)より
7組西堀正弘「ゴルフで地球を一周」
元国連大使だから出来た経験。ご夫人ともども同好会ゴルフに参加され、たびたび好成績を収められた。